第六百二十三夜 今瀬剛一の「サングラス」の句

 今、オリンピック「東京2020」の真っ最中。卓球の水谷隼(みずたに・じゅん)と伊藤美誠(いとう・みま)選手の混合ダブルスで金メダルを獲った試合を観たときに、水谷隼のサングラスに注目した。まず、室内競技なのに何故サングラス姿なのかと感じたことだった。詳しくはわからないが、叫んでもずれないメガネで、スポーツ選手に多い特注品だという。
 
 女子マラソンの高橋尚子が1番で走ってきて、勝利を信じた瞬間であろう、サングラスを外して道路脇の植込へ投げ捨てたときの笑顔は忘れない。
 スポーツでは、太陽の光や室内のライトとの闘いにおいてもサングラスは重要な役割を果たしているようだ。

 今宵は、「サングラス」の作品をみてみよう。

■1句目

  サングラス鬱たる森の色を買ふ  今瀬剛一 『現代歳時記』成星出版
 (サングラス うつたるもりの いろをかう) いませ・ごういち

 茨城県出身の俳人。能村登四郎の「沖」創刊とともに参加。その後「対岸」を創刊・主宰。代表句に袋田の滝を詠んだ〈しつかりと見ておけと瀧凍りけり〉がある。
 蝸牛社の頃、一度ご自宅にお伺いしたことがある。茨城県の中央に位置する城里町は、水戸から北上したところで、先祖からのご自宅は広大な畑地と林に囲まれていた。
 
 掲句の「鬱たる森の色」とは、茨城県の中部から県北の景ではないだろうか。「鬱たる」と思う日もあれば明るさを感じる日もある森の光景は、サングラスを掛ければすうっと暗くなる。「鬱たる森の色」となる。
 だがこの日、今瀬剛一氏は、サングラス越しの森の色を「買ふ」とした。えっ? 買う? と驚いて、辞書を開いた。
 その中に、「高く評価する」という意味もあった。
 
 サングラスを掛けて散策した森の色はいつもと異なって、確かに暗鬱とした色であった。この「鬱たる森の色」がこの日の今瀬氏の「心に適う色」であることに納得し、素晴らしいと評価したのであった。
 
■2句目

  サングラス泉をいよゝ深くせり  水原秋桜子 『新歳時記』平井照敏編
 (サングラス いずみをいよよ ふかくせり) みずはら・しゅうおうし

 水原秋桜子は、医師であり俳人。高浜虚子の元で、秋桜子、素十、誓子、青畝の4人は「四S」と呼ばれる作家となったが、昭和6年、客観写生を説く虚子の「ホトトギス」を離れて「馬酔木」を創刊・主宰。「馬酔木」は新興俳句への道を拓いた。
 
 この作品は、客観写生の目のよく効いた句である。サングラスを掛けて泉の辺りをゆく秋桜子は、いつも見ていた泉の色とは違って、深々とした色だと思った。サングラスの濃い色が泉の色と重なったために、深い色合いとなったのであった。
 
 句は難解なところはなく平明であるが、そのために、「サングラス」の季題の本意がきっちり表れた作品になったのだと思った。

■3句目

  サングラス掛けて妻にも行くところ  『金泥』 
 (サングラスかけて つまにもいくところ) ごとう・ひなお

 後藤比奈夫は、大正6年、大阪出身の俳人。父は後藤夜半。父の主宰する「花鳥集」は後に改題して「諷詠」となり、比奈夫は主宰を引き継いだ。103歳歿。
 この作品は、比奈夫の代表作である。
 
 句集『金泥』は、昭和47年の句集であるから、戦後20年ほど過ぎており、日本は経済成長真っ只中の時代となっていた。女性もサングラスを掛けるようになった頃であろう。
 サングラスを掛けて颯爽とご婦人が歩くのは、銀座かもしれない。大阪から所用で東京に来て、銀座に行き、お洒落な買い物を楽しんだりする。
 
 妻が、「東京に行ってきますね。」とバッグにサングラスを忍ばせたところか、もうすでにサングラスを掛けたまま家を出るところだろうか。夫の比奈夫は、その妻の活き活きとした様子に「妻にもお洒落をして東京に行き、銀ぶらを楽しむこともあるのだ!」と思った。
 夫と一諸でなければ何処へも行けなかった若き日とは違い、最後の仕上げにサングラスを掛ければ、妻は、すっかり見違えんばかりのご婦人となったではないか。

 サングラスは、夏の紫外線避けのためだけでなく、ファッションのためであり、すこしは変身のためでもある。