第六百二十七夜 与謝蕪村の「涼しさや」の句

    ア、秋         太宰 治

 秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル、と書いてある。
 夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。耳を澄まして注意をしていると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気をくばって見ていると、桔梗の花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。
 秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。僕くらいの炯眼(けいがん)の詩人になると、それを見破ることができる。家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う。もう秋が夏と一緒に飛び込んで来ているのに、秋は、根強い曲者である。 (『太宰治全集3』筑摩書房)

 今宵は、「涼し」の作品をみてみよう。
 
■1句目

  涼しさや鐘をはなるゝかねの声  与謝蕪村 『山本健吉 基本季語五〇〇選』
 (すずしさや かねをはなるる かねのこえ) よさ・ぶそん

 「涼し」とは、夏の暑さの中でひとしお涼気が意識され、ふとしたことに涼気を感じることであろう。与謝蕪村は、鐘の音を聞いた。鐘の音はかなり大きく響き、鐘の音は余韻がながながと響きわたる。涼しさというよりも、暑苦しさを感じるほどの音色だったかったかもしれない。
 
 だが蕪村は、「鐘をはなるゝかねの声」に気づいた。一打の後の余韻の音のことだ。梵鐘(鐘楼)は、よい音色を出すという青銅で作られることが多い。
 寺院の釣鐘の音は、たとえば除夜の鐘のように遠くまでよく響く。遠くまで響く音を「鐘をはなるゝ」と、蕪村は捉えた。かそけくなり、やがて消えてゆく音色を、追おうとする瞬間、心に涼しさが過ぎった。

■2句目

  風生と死の話して涼しさよ  高浜虚子 『七百五十句』
 (ふうせいと しのはなしして すずしさよ) たかはま・きょし

 高浜虚子と富安風生の2人のことで先ず思い出されるのがこの句である。

 昭和32年7月、山中湖畔の虚子山廬での夏の稽古会のときのことであった。当時、衂血(はなじ)の後の健康を気にしていた風生が、句会前に田中憲二郎侍医からノイローゼの講釈を受けていた時のこと。縁側の籐椅子にくつろいでいた虚子が、2人の話に唐突に話に割り込んできた。

 「死ぬことこわいですか? 私は死ぬこと、ちっともこわくありませんね」と、風生に言われたという。
 この時、虚子は83歳、風生は72歳であった。

 やがて句会がはじまった。回ってきた句稿を見た風生は驚いた。先程の縁側の籐椅子で話していたことが、そのまま詠まれていたからだ。

 この作品は虚子の生死観を現した作として夙に有名である。掲句を詠んでから凡そ1年半後の昭和34年4月、突然の脳幹部出血で亡くなられた虚子の死に際して、風生は、「虚子先生は、まことに死を涼し」と観じているお顔であったと、述べている。

 「涼し」とは何か? 虚子は深くて悠揚としている。当然ながら私など足元にも及ばない。その度に、『虚子俳話』『俳句への道』を読み返している。付箋だらけになっているが、どれが1番大切なのか・・やはり捉えきることはできない。

 俳句を作る時も、他のことでも、どんな場合でも虚子の心にはゆとりがある。行き方が一貫している。だから、虚子に「涼し」を感じるのであろう。

 今日は8月1日、今週末の7日には立秋となるが、今を盛りの猛暑が、昨日よりも暑く暑くつづいている。気がついたら「ア、秋」になっているに違いない。