第六百二十八夜 吉井まさ江の「秋の水」の句

 吉井まさ江さんは、平成3年にNHK光が丘俳句教室に入会し、深見けん二先生に師事。斎藤夏風先生の「屋根」に入会。平成6年に「花鳥来」に入会され、現在は斎藤夏風先生没後を継いだ染谷秀雄氏の「秀」の同人である。
 「花鳥来」は令和3年秋・123号で終刊になるが、その後、結社名は「初桜」となり、後を継がれる山田閠子主宰は、まさ江さんの一回り年下の妹である。
 
 今宵は、第1句集『安房の海』につづく第2句集『木雫』より、作品を紹介させていただこう。

■1句目

  木雫の大円描く秋の水
 (きしずくの だいえんえがく あきのみず)

 句集名となった作品である。「花鳥来」は、東京都内、埼玉県、神奈川県の庭園などを巡る吟行句会を基本としている。この秋の水はどこであろう。雨降りの空を見ながら駆けつけた吟行地に着いた頃にはどうやら小降りになっていた。
 雨上がりの池畔や湖畔を歩いていると、水面に音がする。やがて水輪は大円を描いた。頭上を見上げると、ああ、この枝の木の葉から木雫がぽとり落ちたのであった。
 
 季題の「秋の水」は「水の秋」「秋水」ともいい、澄んでひややかな感じである。「水澄む」も秋であるが、こちらは感覚的であり、「秋の水」は、「秋」に重点が置かれるという。
 まさ江さんは、この澄んだ水輪の広がりに落ちた木雫に、秋を感じたのであった。穏やかな心で木雫の一部始終をじっと眺め、ひとしずくの木雫が枝に膨らみ、やがて枝を離れて水輪となるまでをゆったり詠んだ。

■2句目

  鳥の来て鳥の眩しき朝桜
 (とりのきて とりのまぶしき あさざくら)

 コロナ禍の令和3年の春は、1人で、以前よく見た桜の木に会いに出かけた。形のよい2本の桜は古木ではない。そこに小鳥がたくさんやって来ている。最初の日は、小鳥は逃げ出したが、数日通っている間に見慣れた顔であることに気づいたのだろう、小鳥たちも自由に囀っていた。
 
 まさに、この景であった。中七下五の「鳥の眩しき朝桜」は、鳥たちの嬉しそうな囀りは眩しい。そして、鳥の囀るままにさせておく桜の花も又、朝日の中で輝いているのだ。「眩しき」は鳥のことなのだろうが、桜も眩しいほど美しい。

■3句目
  
  蛇笏の天龍太の山や甲斐小春
 (だこつのてん りゅうたのやまや かいこはる)

 まさ江さんは、「花鳥来」の中の小句会にも所属されていた。現在89歳となられたが、数年前までは、吟行句会の「望の会」、時には泊りがけで遠くまで出かける「古町ウォーク」にも参加していた。
 この作品は、「古町ウォーク」の吟行であろう。飯田蛇笏の作品、龍太の作品の下調べも十分にして出かけるのだ。
 
 飯田蛇笏と龍太も山梨県東八代郡境川村の生まれ。大地主の跡継なので、父の蛇笏はホトトギスを去って地元に戻り、甲斐の風土とそこでの生活に根ざした作品を詠んだ。俳誌「雲母」を主宰した。龍太は「雲母」を継承した。
 蛇笏の代表句に、〈芋の露連山影を正しうす〉〈をりとりてはらりとおもきすすきかな〉がある。
 龍太の代表句に、〈大寒の一戸もかくれなき故郷〉〈一月の川一月の谷の中〉がある。

■4句目

  晩年の一人にも慣れ煮大根
 (ばんねんの ひとりにもなれ にだいこん)
 
 まさ江さんは、同じ敷地内に娘さん一家が住んでいらして、芝生の庭を歩いて行くのよ、とお聞きしたことがある。50年連れ添ったご主人は亡くなり、もう1人の生活に慣れてに久しい。
 
 それでも冬になれば、ご主人のお好きだった煮大根をことこと煮染めるのだ。「晩年の一人」も、女性の方が生き抜く力はあるかもしれない。男性は威張っていても、女房にご飯を作ってもらわなくてはならないけれど、女性は、食餌に関しては強い。
 そして、私たちには俳句がある。