第六百二十九夜 山口青邨の「桜病葉」の句

 8時頃、焼きたてのパンを買いに取手に向かった。守谷市から国道を東に向かう道だ。桜並木があるところ、銀杏並木があるところ、15キロの国道を30分ほど走るのは楽しい。
 
 桜並木は、7月くらいから黄色い葉が混ざっている。もう黄葉(こうよう)の時期かしら、桜の黄葉は早いなあ、と思っていた。先日、「病葉」の季語を調べていた時に桜並木の黄色い葉は、黄葉ではなくて病葉であろうと思った。
 例えば桜は、秋に落葉し、春に芽ぶき、初夏には葉が青々としている。全ての葉が青々としているわけではなく、どんな木にも「病葉」はあるのだという。そう思って並木道や公園の樹下を眺めてみると、確かに、常緑樹の楠の木の下にも病葉が落ちている。病葉には、いろいろな原因があるが、茂りすぎて蒸れたり、病菌が葉のつけ根についたり、虫がついたりするためであろう、と言われる。
 
 だが、桜の木は黄葉かと思うほどで、何年も眺めていたのだが、病葉かもしれないと気づいたのは最近のことであった。
 「わくらば」は「邂逅(たまたま)」という意で、偶然に見つけたときの異常な感じが中心であるという。

 「病葉」は夏の季語である。あと数日で立秋となり、暦の上では秋となる。

 今宵は「病葉」の作品をみてみよう。
 
■1句目

  どこまでも桜病葉ふむ道ぞ  山口青邨 『薔薇窓』
 (どこまでも さくらわくらば ふむみちぞ) やまぐち・せいそん

 『山口青邨季題別全句集』の中に見つけて、私は嬉しかった。このところずっとわが家の裏手からつづく桜並木の国道で、黄色い葉を見ては病葉かしらと思い、地にもたくさんの病葉が落ちているのに、なお樹上には病葉が地に落ちずに残っていることが不思議でならなかったからだ。
 
 青邨先生は、どこまでも夏の桜並木を歩きつづけた。そして地面に落ちている病葉の多さに驚きをもって気づいたのであった。
 
 この句の末尾に置かれた下五の「ふむ道ぞ」の「ぞ」は、強調の働きをしている。どこまでもどこまでもつづく桜並木であること、桜病葉がどの木にも付いていて又樹下に落ちていたこと、そうした桜並木を眺めながら、青邨先生は桜並木のある限り、歩きつづけたのだと、すこし自慢気に強調気味に告げたのがこの作品である、となろうか。

■2句目

  地におちてひびきいちどのわくらばよ  秋元不死男 
 (ちにおちて ひびきいちどの わくらばよ) あきもと・ふじお

 秋元不死男は、「千夜千句」第百四十三夜で1度紹介した。明治34年、神奈川県横浜市生まれ。昭和10年代には東京三(ひがし・きょうぞう)の名で、プロレタリア文学の影響を受け、新興俳句運動に加わり戦争俳句を詠んだことで、京大俳句事件に連座した。この昭和16年の新興俳句弾圧事件では2年間の獄中生活を経験。
 戦後は、秋元不死男の名で山口誓子の「天狼」で活躍。昭和43年、〈三月やモナリザを売る石畳〉〈冷されて牛の貫禄しづかなり〉など収めた第3句集『万座』にて第2回蛇笏賞を受賞。
 
 掲句は、秋元不死男の筆名なので、戦後の作品であろう。
 中七の「ひびきいちどの」が気になった。「病葉」とは、真夏の暑さに蒸されたか、病菌にやられたか、いずれにしても弱った葉である。地に落ちて音を立てることもせず、跳ねることもせず、樹上から落ちたときに幽かな響きがあっただけで、たった1度きりの響きであったのだ。
 不死男は「ひびきいちどの」という、すでに弱っている病葉の立てた音に「哀れ」を感じたのであろう。その「哀れ」は、戦前の自分自身に対する「哀れ」だったかもしれない。新興俳句運動は、反戦色を強め、存分に闘い抜いたことではあったが、治安維持法違反で特高警察に集団検挙された。「哀れ」というより、残されたものは「虚しさ」であった。