第六百三十三夜 松本たかしの「今朝の秋」

 令和3年の立秋は、今日の8月7日だが、だいたい、8月7日か8日頃である。
 古今集に藤原敏行の〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる〉があるように、土用が明けて、まだ暑い盛りだが、風の音にももう秋が来たという感じがするという時節である。
 季語「立秋」には、傍題の「今朝の秋」は立秋の日の朝のことで、朝の爽やかな感じを籠めて言うが、立秋後数日は使ってよいとされている。「秋来る」「秋に入る」は立秋まもなくの頃に言う。
 
 今宵は、「立秋」の作品を紹介してみよう。

■1句目

  蚊帳の中に見てゐる藪や今朝の秋  松本たかし 『山本健吉 基本季語五〇〇選』
 (かやのなかに みているやぶや、けさのあき) まつもと・たかし
 
 松本たかしは、明治39年、東京神田猿楽町の生まれ。祖父松本金太郎、父松本長という代々江戸幕府所属の宝生流座付きの能役者の家系である。14歳で肺尖カタルを患ったことから、17歳で、「ホトトギス」の高浜虚子に師事するようになる。療養のために住んだ鎌倉市浄明寺の家は、二間の小さな屋敷だが庭は200坪もあり、竹藪も桜も芝生も草花も芒も見事で、虚子もたかし庵を度々訪れている。昭和元年から終戦までのおよそ20年間、たかしはこの家に住み、代表作の多くが生まれた。

 掲句は、目覚めた蚊帳の中から、たかしは屋敷の広い庭の外れの竹藪が風にそよいでいるのを見ていた。立秋とは言えまだまだ暑い時期だ。戸も障子も開け放ち、蚊帳を吊って寝ていたのだろう。
 だが傍題「今朝の秋」には、立秋の日の爽やかな朝の感じが強く籠もる。蚊帳の中に見てゐる藪は、朝の爽やかさとともに、藪にそよぐ風の涼しさも伝わってくる。

 『石魂』の跋に、虚子は次のように述べている。
 「主として自然の美を目的とし、追求した句が大部分なのであるが、何時も自然は扉を閉ざして、奥深く蔵する秘密を隠してゐるといふ感じがする。」      

■2句目

  立秋の雲の動きのなつかしき  高浜虚子 『六百句』s18 鎌倉八幡宮実朝祭献句
 (りっしゅうの くものうごきの なつかしき) たかはま・きょし

 鎌倉八幡宮(鶴岡八幡宮のこと)は「ぼんぼり祭」とも呼ばれ、立秋の前日、立秋、実朝祭(9日)まで、8月6日から9日までの4日間、鎌倉市内および鶴岡八幡宮にゆかりのある著名人の書画がぼんぼりに仕立てられ、参道に並び、夕刻になると明かりが灯される。この期間中、夏越祭・立秋祭・実朝祭が執り行われる。

 虚子は、鎌倉在住の有志。このような祭事には袴姿で、袴帯の後ろには献句の短冊を挟んで参加している。実朝祭は翌日の9日である。
 
 掲句は、昭和18年8月8日の作。立秋の句である。見上げると立秋の空に雲が浮かんでいる。その雲の動きを虚子は「なつかしき」と詠んでいる。「懐かしい」には、昔を思い出されて心が惹かれる、または、かわいらしいと感じる、などの意味がある。
 今日から立秋、今日から爽やかな秋となる、と感じた虚子は、空の雲がなにやら喜んでいるようにも感じられ、虚子も楽しそうに動いている雲をかわいらしいな、と思ったのではないだろうか。
 
■3句目

  立秋や鏡の中に次の部屋  辻田克巳 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (りっしゅうや かがみのなかに つぎのへや) つじた・かつみ

 「鏡の中に次の部屋」に惹かれた。鏡に映っている「次の部屋」は、目の前という意味の「次」ではなく、鏡を見ている人の反対側、つまり後ろにある部屋のはずであるが、読み手の私たちには辻田克巳氏が次の部屋にずんずん行ってしまうように感じてしまう。人は、『鏡の国のアリス』のように、鏡の中へ入ってゆくことはできない。この、有り得ない不思議な世界へ、辻田克巳氏は「次の」というひと言で入ってしまったのだ。
 季語「立秋」の力も感じた。「立秋」には、真夏から秋という変化を心待ちにしていた気分が籠められているからである。