第六百三十七夜 深見けん二の「花火」の句

 「前畑ガンバレ」は、私が、昭和20(1945)年に生まれたときより6年前の1939年8月11日に行われたベルリンオリンピックの女子200メートル平泳ぎで優勝した前畑秀子のことである。ゲネンゲル選手とデッドヒートを最後まで繰り広げたレースを現地から日本へ届けたのは河西アナウンサーであった。この決勝が行なわれたのは、日本は夜で放送終了時間になっていたが、河西は、放送を止めないように、ラジオの前にいる人に寝ないように、次のように、必死の呼びかけで実況し続けた。
 
 「あと25、あと25、あと25。わずかにリード、わずかにリード。わずかにリード。前畑、前畑頑張れ、頑張れ、頑張れ。ゲネンゲルが出てきます。ゲネンゲルが出ています。頑張れ、頑張れ、頑張れ頑張れ。頑張れ、頑張れ、頑張れ頑張れ。前畑、前畑リード、前畑リード、前畑リードしております。前畑リード、前畑頑張れ、前畑頑張れ、前、前っ、リード、リード。あと5メーター、あと5メーター、あと5メーター、5メーター、5メーター、前っ、前畑リード。勝った勝った勝った、勝った勝った。勝った。前畑勝った、勝った勝った、勝った。勝った勝った。前畑勝った、前畑勝った。前畑勝った。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑勝ちました。前畑の優勝です。前畑優勝です」

 オリンピックの度に言い継がれてきた「前畑ガンバレ」は、レースで金メダルを獲った前畑秀子であり、実況した放送魂一途のアナウンサー河西三省であった。

 今宵は、「花火」の俳句をみてみよう。

■1句目

  盛んなる花火を傘に橋往き来  深見けん二 『父子唱和』
 (さかんなる はなびをかさに はしゆきき)

 わが師深見けん二の第1句集『父子唱和』の中の句。この第1句集は、俳句を作りはじめてから15年間の作品であるが、制作順に並べられてはいなくて、人生の節目のテーマごと並べてある。
 例えば、隅田川などの大きな花火大会へ行ったときであろうか。橋を往き来しながら、大川に次から次へと上る大花火は、夜空に開いた傘のようにも感じられたにちがいない。「傘」があり「橋往き来」とあり、最初はどのような光景なのか句意が取りにくかった。きっと俳句仲間と吟行された時の作品であろう。

■2句目

  暗く暑く大群衆と花火待つ  西東三鬼 『変身』
 (くらくあつく だいぐんしゅうと はなびまつ) さいとう・さんき

 没年の昭和37年に出版された第4句集『変身』の中の作品。
 句意はこうなろうか。花火大会見物に出かけた。ぎゅうぎゅう詰めの人混みであったと思われる。現在のように、花火大会が多くは行なわれていないので、電車に乗って遠くからでも見にきた。真夏の夜の花火会場は大群衆で、身体の前後からおしくらまんじゅうのようで暑苦しい。そうした中で花火が始まるのを待っている。
 
 東京の石神井公園で、小学校時代の昭和30年の頃、花火大会に出かけた。芋の子を洗うようとは、狭い所で大勢の人がひしめき合っているさまのことであるが、電車に乗り、又は乗り継いだりして集まった人たちであった。花火が夜空に1発ずつ上る度に、大きな歓声が上る。
 今でも懐かしく思い出すのは、西東三鬼の詠んだ光景そのままであったからであろう。
 
 「暑く」「花火」と季重なりとも言える。俳句を詠む場合の基本はその通りかもしれないが、実際には、いくつも重なって背景となったり心象風景になったりするものである。

 コロナ禍で1年遅れで行なわれた2020東京オリンピック競技大会は、令和3年8月8日に全日程を終えた。テレビ画面には花火の映像が散りばめられていた。