第六百三十八夜 内藤吐天の「鰯雲」の句

 鰯雲は、一面見渡すことのできるような、広い場所で見上げるのが好きである。例えば、ハイウェイを走っている時、太平洋の海を眺める時など、大空いっぱいに白い小石が散らばっているようであり、やわらかな白い綿毛が浮かんでいるようでもある。その間隔が等しく、雲間からのぞく青空が美しい時は、尚のこと好きである。
 また、都会のどまん中の鰯雲もいい。神田のビル街で出合ったのは、ビルの窓に映しながら、狭いビルの空の谷間を進みゆく鰯雲であった。迫力のある光景で、鰯雲の鱗が巨大に見えたのであった。
 
 秋になると、こうした「巻積雲」いわゆる「鰯雲」が季節の雲となる。
 ある時、私が神田の三省堂書店の前の交差点で広い空をゆく鰯雲を詠んだ句に、〈鰯雲おとほりなされビルの空〉がある。
 
 今日8月12日は、猛暑から秋暑しと続いたあとの急激に気温が下がった1日となった。気を張り通してきた反動なのか、朝から眠く、仕事机からソファへ移り、テレビを点けるや忽ちうとうとしてしまった。
 
 今宵は、そろそろ見かけるであろう「鰯雲」の作品をみてみよう。

■1句目

  鰯雲天に愛語を聴くごとし  内藤吐天 『山本健吉 基本季語五〇〇選』講談社
 (いわしぐも てんにあいごを きくごとし) ないとう・とてん

 「愛語」とは、梵語〈priya-vāditā〉の訳で、菩薩が他者に対して心のこもった優しい言葉をかけること。みんなの心をまぁるくする魔法の言葉ともいわれ、人々を救いに導く実践行である四摂事 (ししょうじ) の1つである。
 
 掲句は、大空をゆく鰯雲の白い小さな美しい雲の1つ1つが、仏教の言葉「愛語」のようで、やさしさの権化となって内藤吐天に語りかけているかのように聞こえましたよ、という句意になろうか。
 
 内藤吐天(明治33年-昭和51年)は、、岐阜県出身の俳人、薬学者。大須賀乙字に俳句を学び、昭和21年に「早蕨」を創刊・主宰。

■2句目

  飛行機雲時経て鰯雲と化す  山口誓子 『山本健吉 基本季語五〇〇選』講談社
 (ひこうきぐも ときへて いわしぐもとかす) やまぐち・せいし

 飛行機は、青空へ1本の白い飛行機雲を吐きながら飛んでゆく。その後もしばらく眺めていると、くっきりした1本の雲は徐々に崩れ、鰯雲の形になってゆくことに気づいたことがある。
 
 山口誓子は昭和の初め、高浜虚子から徹底した客観写生を学んでいた時代があった。その後に誓子は自身の方法論として「二物衝撃」を考えた。「即物具象の方法」と「モンタージュ法(映画からヒントを得た写真構成)」を用いたものである。
 
 掲句の「時経て」は、最初、誓子の言葉らしくない、まどろっこしい描写のように感じた。誓子の切り込んでゆく言葉ではないように思ったからだ。しかし、飛行機雲の1本の白い雲は、ある時間が過ぎてようやく鰯雲としての形になる。
 その時間が「鰯雲と化す」までの時間であると気づいた時に、納得し、誓子のまた1つ違った詠み方に出会えたように思った。

■3句目

  海に出てだんだん鰯雲らしく  小圷健水 『小圷健水集』
 (うみにでて、だんだん いわしぐもらしく) こあくつ・けんすい

 西から進んできた鰯雲が、広々とした海へやっと抜け出た時、鰯雲はその名の由来の鰯が水を得たように大空を泳ぎはじめた、という句意になるのだろうか。
 小圷健水さんは、見上げた雲の姿に「これぞ鰯雲」と、鰯雲らしさを感じたのだ。掲句の「海」は、太平洋であるとお聞きしたことがあった。
 
 小圷健水さんは、深見けん二主宰の「花鳥来」の創刊以来の幹事長である。