第六百三十九夜 芝不器男の「夜雨の葛」の句

 葛の花の短歌といえば、釈迢空の「葛の花踏みしだかれて色あたらし この山道を行きし人あり」がある。釈迢空の本名は折口信夫。民俗学、国文学に多大な業績を残している。この短歌も、その民俗学に裏付けられた独自の歌風である。
 歌意は次のようだろう。民俗学探訪の独り旅を続ける中で詠んだもの。真夏の葛は、踏みしだかれて、地面を鮮やかに染めている。こんな山奥にも、私より先に歩いた人があったんだ、という感慨。そして、思わぬところで、同じ地歩を踏んだ人への共感。

 秋の七草の1つ、周りの木々を蔓でおおってしまう程の生命力があり、赤紫の美しい花は下の方から順に咲く。別名の「裏見草(うらみぐさ)」は、葉が風にひるがえると裏の白さが目立つことから付けられた名で、平安時代には「裏見」を「恨み」に掛けた和歌も多く詠まれたという。 
 葛は、もう1つ、根から澱粉をとり、「葛粉(くずこ)」として薬用や食用にする。
 
 今宵は、芝不器男の「夜雨の葛」の句を紹介しよう。

■葛は「葛の花」のこと

  あなたなる夜雨の葛のあなたかな  芝不器男 『不器男句集』
 (あなたなる よさめのくずの あなたかな) しば・ふきお

 芝不器男は、明治36年、愛媛県生まれ。長谷川零余子の「枯野」、吉岡禅寺洞の「天の川」、大正15年秋より「ホトトギス」にも投句を始める。「不器男」は俳号でなく本名。
 
 掲句は「ホトトギス」大正15年12月号に投句した作品で、「仙台につく。みちはるかなる伊予の我家を思へば」の詞書がある。
 
 大正16年(昭和元年)1月号「ホトトギス」の「ホトトギス雑詠句評会」で採り上げられている。的確で深い虚子の鑑賞をそのまま紹介する。
 
 「伊予の国からはるばる仙台に来た時の情緒を云ったもので、「あなたなる」とまず遠く思いを故郷の方に走(は)せてそこに夜雨の降っている葛を描き出した。
 どうせ葛は都会を離れた山野に生い茂っている物であってそれに夜雨の降っている光景はこの作者が著しく物寂しさを感じて深く頭に印象した処のものである。作者の故郷に遠く思いをはせる時に暗闇の中にただその夜雨の葛という光景がまぼろしの如く描き出された。それから又思いを郷里の方にはせると又はるばる遠いことであると感ずる。
 丁度絵巻物にでもして見ると、非常に長い部分は唯真っ暗で、一面に黒く塗ってあるばかりで、それから少し明るい夜雨の降っている葛の生い茂っている山がかった光景が描き出されて、それから又非常に長い黒い所があると云ったようなものである。その黒い所というのははるばる郷里を思いやった中に葛の上に夜雨の降っている光景が思い浮かぶのである。
 箱根の山で見た光景か、白河の関近くで見た光景かそれはいずれであろうともただ葛の生い茂っている上に夜雨の降っている光景がいかにも物寂しかったことと想像せらるる。
 初めにあなたなると置き又終わりにあなたかなと置いた大胆なる叙法が成功している点は偉いと思う。」
 
 虚子の言葉の中の「絵巻物にでもして見ると」や「夜雨葛という光景がまぼろしの如く描き出された」という解釈は、虚子でなければ出来ない解釈であろう。

 『蝸牛俳句文庫 芝不器男』の編著者である飴山實氏は、解説〈芝不器男〉のタイトル「時間と空間をつくる俳人」の中で、眼前の景から情懷の景へ、この時間の処理のしかたが、不器男ならではの芸であり、どの句にも共通していると述べている。

 昭和5年、28歳の芝不器男は、左側副睾丸肉腫及び腹腔内琳派腺転移のため永眠。主治医として横山白虹が尽力したという。昭和9年、まず、『不器男句集』(横山白虹編)が「天の川」から発行された。昭和45年、飴山実編著『定本芝不器男句集』を刊行。