第六十六夜 山田弘子の「噴水」の句

  噴水の水をちぎつて止まりけり  『空ふたつ』
 
 鑑賞をしてみよう。
 公園の噴水であろう。水は勢いよく天に向かって光を放ちながら吹き上げている。その噴水を止める瞬間に偶然にも立ち会うことができた山田弘子は、水の栓をひねって止めたのか、あるいはスイッチで止めたのか、ともかく勢いよく吹き上がる水が断ち切られた瞬間を見た。そのとき、一瞬の光の余韻を残して噴水の空は、虚空となった。
 中七の「水をちぎつて」という表現は、なかなか言える措辞ではない。
 
 掲句は、蝸牛社刊の俳句・背景シリーズ『空ふたつ』集中の作品。
 あるとき山田弘子は、神戸市須磨区の離宮公園内で朝10時から午後3時までに百句を作るという「一日百句を作る会」に誘われた。暑くて心が集中できなかったが、最後に、一句でも納得のいく句ができればと、ベンチに腰を下ろし、噴水の写生に徹すると決めて出来上がった中の一句であるという。
 5時間で百句だから他の季題でも詠んだと思われるが、それにしても、ぴたっと決まる中七の描写が浮かぶのは至難の業である。いくつもの来ては去る言葉との格闘のなかで、最後にコレだと思う言葉は、やはり「授かった」ものなのであろう。

 山田弘子(やまだ・ひろこ)は、昭和九(1934)年、兵庫県和田山市生まれ。平成二十二(2010)年に亡くなる。昭和四十五年に「ホトトギス」入会し、昭和五十五年に同人。平成七年に「円虹」を創刊主宰。

 平成九年に刊行した『空ふたつ』のあとがきでは、前年のホトトギス創刊百年を迎えた事に触れている。
 虚子の言葉「古壺新酒」を援用しながら、山田弘子は「歴史の語りかけるものに耳を澄まし、そこを去来した多くの俳人たちの果たした活動の意味や役割を探るとき必ず将来への鍵が見えてくる。その鍵を探るのもこれからの私の大事なテーマである。」と、感慨を述べている。
 
 平成八年に刊行された第三句集『懐』には、代表句となった〈みな虚子のふところにあり花の雲〉が収められている。もう一句紹介しよう。

  企てはひそかに運ぶねこじやらし  『懐』
 
 ねこじゃらしは群れてはいるが、風が吹いても静かな軽やかな動きをする植物なので、確かに「企てはひそかに運ぶ」と思わせてくれる。句集には、山田弘子の持ち味の一つと思われる、筆者も大好きな、こうしたエスプリの効いた作品もいくつか見かけた。