第六十七夜 室生犀星の「どんど」の句

  くろこげの餅見失ふどんどかな  室生犀星
 
 今日は1月15日。「どんど」の句をみてみよう。
 「どんど」は「左義長」という行事のことで、新年の飾りを取り払って神社や広場に持ち寄って、焚き上げることである。松納、飾納は6日にすることが多いが14日には片付けも終わるので、その間の土日に行われることが多い。「どんど」「とんど」は昔からの囃し声からのもの。

 茨城県へ移転して、長い東京住まいでは観ることの叶わなかった新年の行事である。利根川の広い河川敷で行われると知った私は、「どんど焼き」という行事に初めて参加した。葦原が広がる河川敷の、はるかな西空には富士山が寒夕焼に黒々と浮かび上がっていた。
 
 掲句は次のようであろう。
 
 「どんど焼き」会場の入口に着くと、餅を刺した長い笹を配ってくれた。真ん中に大きな竹が立っている周りに、役目を終えた正月飾りがびっしり積み上げられている。やがて、火が点けられ、あっという間に火勢が増し、高々と燃えている。周囲の葦原まで火の粉が飛んでいきそうだ。
 火を囲んでいる大人も子どもも餅の笹を慌てて火に焚べる。それぞれの火の向こう側には餅の焼け具合を見つめる真剣な眸が並んでいる。
 赤々と燃える火のなかの黒焦げになっている笹の餅が、どれも同じで、どれが自分の餅だろう、いつ笹を引き上げたらいいのだろう、と戸惑う顔が見えるようだ。
 
 室生犀星(むろう・さいせい)は、明治22年(1889)―昭和37年(1962)は、石川県金沢市の生まれ。詩人・小説家。娘であり作家の室生朝子は、父犀星のことを「父は俳句にはじまり俳句に終わった人」とも言っている。
 作家は、詩人であったり小説家であったり劇作家であったり、多くのマグマを抱えているクリエーターである。いつ何が吹き出すかなのだろう。
 『室生犀星句集 魚眼洞全句』から、もう一句紹介しよう。
 
  あんずあまさうなひとはねむさうな  犀星
 
 父と娘を描いた小説『杏っ子』を書いた折に、「あんず」の句も、同時に生まれたと思われる。「杏」の花は春先、桜の花の前に梅の花に似た、梅の花よりもすこし大ぶりの花を咲かせる。実は6月7月の頃で、ジャムにしたり、杏仁豆腐にしたり、薬用になったりする。
 句の内容はよくわからないままなのに口ずさむことがあるのは、平仮名のやさしさが杏の香のゆりかごにいるような調べだからであろうか。