石仏のあたり 堀 辰雄
--そんな笹むらのなかの何でもない石仏だが、その村でひと夏を過ごしているうちに、いつかその石仏のあるあたりが、それまで一度もそういったものに心を寄せたことのない私にも、その村での散歩の愉(たの)しみのひとつになった。ときどきそこいらの路傍から採ってきたような可憐な草花が二つ三つその前に供えられてあることがある。村の子供らのいたずららしい。が、そんなのではない、もうすこしちゃんとした花が供えられ、お線香なども上がっていたことも、その夏のあいだに二三度あった。
『昭和文学全集 第6巻』堀辰雄「大和路・信濃路」小学館
今宵は、秋の七草である、はぎ・おばな・くずばな・なでしこ・おみなえし・ふじばかま・あさがお(ききょう)の中から幾つかの作品を紹介してみよう。
■1句目、芒(おばな)
目さむれば貴船の芒生けてありぬ 高浜虚子 『五百五十句』
(めさむれば きぶねのすすき いけてありぬ) たかはま・きょし
昭和11年9月17日、京都に一泊した翌朝。昨夜はゆっくり眠れたのであろう。目を覚ましてみると床の間には、昨夜はなかった筈なのに、今朝は芒が生けてある。虚子が定宿にしている女将の心遣いであった。虚子がまだ休んでいる間に、生けてくれていたのだ。
室内に秋風が吹きぬけたようになり、旅の疲れがすっと遠退くようであった。
「これは、貴船の芒です」と、宿の人が言った。
貴船とは、貴船神社がある地名である。虚子にとって京都は学生時代を過ごした地であり、その後も、好きな京都を屡々訪れる地でもある。
「貴船の芒」と聞いて、虚子の心になつかしい思い出が蘇り、こうした虚子を知っているからこそ、生けられた芒であった。
季題「芒」は、秋の代表的な草花であり、その穂の形から、「なびく」心模様がさまざまに詠われる。虚子が「貴船」の地名を詠み込んだことで、季題の「芒」は、格調高く、ゆかしい芒として顕ち上がった。
■2句目、桔梗(ききょう、きちこう)
きりきりしやんとして咲く桔梗かな 小林一茶 『一茶句集』
(きりきりしゃん としてさく ききょうかな) こばやし・いっさ
秩父へゆく途中に、長瀞七草寺霊場がある。長瀞七草寺には、秋の七草が1ヶ寺ごとにある。たとえば、撫子の寺は不動寺、桔梗の寺は多宝寺、葛の寺は遍照寺、藤袴の寺は法善寺、女郎花の寺は真性寺、尾花の寺は道光寺、萩の寺は洞昌院という具合である。
印象深かったのは葛の寺の遍照寺だ。遍照寺に入るや、あたり一面を覆い尽くさんばかりの茂りで、私は〈葛寺へ葛のおどろをくぐりぬけ〉という句を詠んだ。「おどろ」がいいね、と、投句をした際の師・深見けん二先生の評であった。
もう1つは、七草寺巡りの最後に行った桔梗の多宝寺であった。どの花も花期は微妙に異なっているが、きっと桔梗が1番美しい時期に行き合わせたのかもしれない。莟は五角の縁をきわやかに見せて、本当なら、プチッと潰す音も聞きたいほどであった。紫色の桔梗と白の桔梗が、まだどの花も枯れていなくて、秋空の下に咲き連ねていた。
私が七草寺の多宝寺で出合ったのは、掲句の一茶が詠んだような、まさに「きりきりしやん」の桔梗であった。咲き始めのピンと張った花びらも、プチッと押せば「ポン」と鳴って割れるような莟もある桔梗である。
秩父長瀞の七草寺巡りは、それぞれの寺が結構離れている。車で回ったが、当時住んでいた練馬の家に戻るまで1日がかりの、俳句を愉しんでいる父を連れての吟行となった。