第六百四十六夜 高浜虚子の「流星」の句

 小学校時代からの友人・知ちゃんは、高校1年の春休み、当時、お兄さんの東工大の山小屋のあるスキー場に誘ってくれた。吾妻郡嬬恋村の旧鹿沢温泉スキー場(現在は北軽井沢スキー場)で、私はいくつかの初体験をした。
 
 1つ目は、スキー初体験。リフトで上に行き、ゲレンデに降りた私は、怖くて怖くて、スキー板を斜面に向けて滑り降りるまで、1時間ほど動くことができなかった。  
 「大丈夫だよ、怖くないよ!」と、みんなが声をかけてくれるのに・・!
 2つ目は、大きな炬燵を囲んでの雑魚寝。何しろ一人っ子の私は、そもそも共同生活が苦手であったし、しかも、父以外の、男性も交えての初めての雑魚寝だ・・寝付けなかったことを覚えている。
 
 お風呂は、近くの旅館のお風呂を借りに夜道を歩いて行った。すごく寒かった。知ちゃんのお兄さんたちは、タオルを夜風に晒した。暫くするとタオルはカチンカチンに凍った。それを長刀に見立てて、ちゃんばらごっこをしながら合宿所へ戻った。
 
 3つ目は、帰り道に仰いだ星々だ。美しさと溢れんばかりの多さには圧倒された。空からはみ出すように流れ星がツツーっと落ちてくるのだ。高浜虚子の〈星一つ命燃えつつ流れけり〉のように、中村草田男の〈ふるさとももの傾きて流れ星〉のように・・。

 もう60年も昔のことだった。
 その後の私は、大学生4年まで冬休みと春休みは蔵王でスキー三昧をしたが・・九州出身の夫と結婚して以降は、雪の世界はすっかり遠のいてしまった。
 
 今宵は、高浜虚子の「流星」の作品を見てみよう。
 
■1句目

  星一つ命燃えつつ流れけり  高浜虚子 『七百五十句』
 (ほしひとつ いのちもえつつ ながれけり) たかはま・きょし 

 昭和30年9月11日作。草樹会で大仏殿での吟行。虚子81歳。 
 流れ星は、夜空に急に現れて一瞬に通過して消える光体のこと。流星というが星ではなく、宇宙空間にある直径1ミリメートルから数センチメートル程度のチリの粒が地球の大気に飛び込んできて大気と激しく衝突し、この摩擦によって灼熱発光するものである。燃え切れずに地上へ落ちてくるのが隕石であるが、流れ星は元来「燃えつつ流れる」のである。
 
 掲句は、この宇宙空間の1つの星に照準をさだめて詠んでいる。「星一つ」は、寓意があるように思えるが、燃えて流れる塵という宇宙の一現象を詠んだものであり、客観写生句である。
 『虚子俳話』に「日月星辰にも情がある。……詩人(俳人)は天地万物禽獣木石類に情を感ずる。……天地有情といふ。」とある。「燃えて流れる」ものを「命」と捉えることも、虚子の花鳥諷詠詩なのである。        
 
 流星は、夜も明るい都会ではなかなか見えることはない。流星群のニュースを聞くたび何度か遠くへ出かけた。
 東京に住んでいる時は、秩父まで車を走らせた。小鹿坂峠の中腹に位置し、観音堂の前庭からは秩父市街が一望できる音楽寺は、多くの人が訪れるが、この時見たのはペルセウス流星群である。
 晩秋の枯木へ刀剣の一振りのように流れ星の光は鋭かった。「凄艶」であった。流れ星はぽつんぽつんと現れるので、大地に寝そべって待っていると、大空と対峙しているようだ。時折、明るさを秘めた群青色の、広くて円い大空の裾へ光の尾がこぼれる。時間にすれば1秒にも満たないかもしれないが1本の流れがある。

 茨城県では、夜中の2時に起きて夫と犬を連れて利根川の土手の上で眺めた。人っ子一人だれもいなかったので、逆に怖かった。ここでは、地平線近くを、山口青邨の〈流星の針のこぼるるごとくにも〉という風情の流星を眺めることができた。