第六百四十八夜 星川和子の「寒椿」の句

 茨城県守谷に転居して、平成15年に生まれたのが「円穹俳句会」であった。東京時代の私の旧友の片山和子さんご夫妻が声をかけてくださり、守谷市中央公民館、中央図書館が主な句会場となって14名から最終的には20名の句会を行うことが出来た。

 星川和子さんは「円穹俳句会」の最初の会合から出席されていた。もの静かな方だが、作品はときに激しく情感豊かで私たちを魅了した。
 
 星川和子さんの、父は植物学者の渡辺清彦、夫は東北大学教授で農学者の星川清親という素晴らしい環境の中で、和子さんは、植物に触れ俳句を学んでいた。
 ある時、亡くなった父と夫の遺した膨大な植物画と著書や文章、そして和子さんがお二人の思い出を書いた文章を纏めたものを書籍にしておきたいということで、私たちは自費出版のお手伝いをした。それが『植物画随想』である。
 
 今宵は、星川和子さんの『植物画随想』に添えた俳句を紹介させて戴こう。

■1句目

  寒椿柩に収むベレー帽  
 (かんつばき ひつぎにおさむ ベレーぼう) 【寒椿・冬】

 99歳10ヶ月、数えの百歳で亡くなった父・渡辺清彦は、最後まで入院もせずに娘の和子さんが看取っての大往生であった。生前は、愛用のベレー帽を被り藜(アカザ)の杖をついて散歩にでかけていた。杖のアカザは荒れ地に自生する草で、夏には1・5メートルほどの長さになり、干して杖にしたという。
 
 亡くなったのは、寒椿の美しい頃。父・渡辺清彦氏の蔵書『図説熱帯植物集成』の大きな1冊が、わが家に贈呈されている。

■2句目

  けもの径先越されたる蕗の薹  
 (けものみち さきこされたる ふきのとう) 【蕗の薹・春】

 大むかし、人々は山野に生える植物の葉や根や実をとって食糧にしていた。このときに、人間によって栽培される野菜と野生のまま放置された山菜とが分かれたのである。いわば山菜は野菜への栽培化試験に落第した連中なのでである。
 
 蕗の薹(フキノトウ)、野蒜(ノビル)、蓬(ヨモギ)など、仙台で暮らしているころの散策の途中の収穫であり、夕食にはさっと湯がいて灰汁抜きをして食べたという。
 
 掲句の「先越されたる」は、鹿や猪などけものの往来の道であるが、けもの達も蕗の薹を食べるのか、他の山菜好きの人間に先を越されてしまったのか、この日は思うほど収穫できなかった、ということであろうか。

■3句目

  いつせいに揺れて藤棚輝きぬ   
 (いっせいに ゆれてふじだな かがやきぬ) 【藤棚・春】

 円穹俳句会での最初の吟行は手賀沼であった。何台かの車に分乗して守谷から30分ほどで着いた。ここの藤棚は、大通りにある入口から手賀沼の湖畔に向かって一直線に続いている。丁度満開でよい具合に垂れて揺れている、と、風がきて一斉に揺れはじめた。
 藤棚の下をずんずんゆくと、湖畔の漣が輝きながら近づいてくる。湖畔沿いの道を曲がると田んぼがあり、田植え機が動き、雉(キジ)が鳴いていた。和子さんは、田んぼの中にお玉杓子を見つけてうれしそうに声を上げていた。

■4句目

  こだはりは葛の花より始まりぬ
 (こだわりは くずのはなより はじまりぬ) 【葛の花・秋】

 円穹俳句会での作品だ。短冊が回ってくると、句会の人たちの「えっ! どういう意味かしら?」という声が順にざわめきとなってくる。この句会では、選句した句について、各自が感想を述べ合い、選ばなかった句の問題点などを指摘し合った。
 
 もう20年前のことで、朧であるが、「葛の花」の繁茂する咲き方とどこか繋がるようなものが自分の心の中にもあって、それが「こだはり」ではないか、という鑑賞だったように思う。
 
■短歌:ツクバネ

  拾ひ来しツクバネの実を投げ上げる 回りて飛ぶを孫ら喜ぶ  渡辺清彦
 (ひろいきし ツクバネのみを なげあげる まわりてあそぶを まごらよろこぶ)

 お正月の羽根つきの4枚羽根の形をしている葉っぱだ。これは可愛い! 和子さんから戴いて、今も棚に飾ってある。 植物が好きで、植物画が好きで、1つ1つを大切にしながら過ごしていらっしゃる方と友人として知り合うことができた。私の宝ものである。
 和子さんの父の短歌であるが、ツクバネをどうしても紹介したかった。仙台青葉山の農学部を散歩したときに見つけ、和子さんと孫に、くるくる回しながら何度も空へ向かって投げてみせたという。