第六百五十二夜 下村梅子の「釣舟草」の句

 釣舟草の群生に出合ったのは、山形県上ノ山市蔵王に住む陶芸家岡崎隆雄の「不忘窯」に行った時である。大学時代からの友人のムチョこと相澤紘子さんは山形県の生まれ。小学生の頃まで住んだ山形県は、戦後の疎開のためであった。岡崎隆雄の母とムチョの母とはこの疎開時代に知り合ったのであろうか。
 ムチョのご主人の相澤三喜夫は、青山学院大学入学時のクラブ紹介の会場で、ひょいと入部してしまったESS・ディスカッシション・セクションのチーフであった。ムチョは、ヒロコ・ムトーの筆名で、まず、作詞家として、次に作家として『猫の遺言状』『野良猫ムーチョ』など数々の作品を書いている。
 
 ムチョには友人が多い。しかも長年にわたる友人たちである。岡崎隆雄の「不忘窯展」がムチョの肝入で、銀座で開かれた。どの壺も、大皿もシャープな線が美しい。わが家にも、大皿や小皿や花器がいつの間にか揃っていて、お客様用に大事にしている。
 ある年、蔵王の不忘窯行に誘われた。いろいろな出合いがあった。
 
 不忘窯で出合ったのは素敵な人だけでなかった。山野草の出合いもあった。まず、鷺草(サギソウ)だ。鷺草は白鷺のごとくすっくと佇ち、1本の茎に花を1つ咲かせていた。
 次に印象的だったのが「釣舟草」。花は帆掛船を吊り下げたようにみえる形。花の色は華やかなピンク色ではなく、図鑑にもあった「黄釣舟」である。不忘窯での夕暮れ、庭でバーベキューをした。そのテーブルに向かって黄釣舟の花は、大船団となって漕ぎ出してきそうなほど、溢れんばかりに咲いていた。
 その後、ムチョへのお礼状のハガキには〈釣舟草いづこへ漕ぐも意のままに〉の句を認めた。
 
 今宵は、「釣舟草」「吊舟草」「黃釣舟」の作品を紹介しよう。
  
■1句目

  大露に釣舟草も溺るべし  下村梅子 『蝸牛 新季寄せ』
 (おおつゆに つりふねそうも おぼるべし) しもむら・うめこ

 釣舟草は、花弁の前の部分が帆のように膨らんでいるので、露の玉もひょいと乗ってしまいそうなスペースがある。一晩のうちに溜まった大きな露の玉は、だんだんに重さを増して、ついには溺れるであろう、舟だから沈没してしまうだろうか。
 そんな句意になるのでは、と思った。

■2句目

  吊舟草揺れてやすらぐ峠かな  久保田月鈴子 『蝸牛 新季寄せ』
 (つりふねそう ゆれてやすらぐ とうげかな) くぼた・げつれいし

 吊舟草の花がいっせいに揺れている峠をゆく久保田月鈴子。「やすらぐ」のは、吊舟草が揺れているやすらぎの光景そのものを詠んでいるのか、それとも、やっと峠まで登ってきた月鈴子は、吊舟草の花がいっせいに揺れている光景にほっとやすらぎを感じたということであろうか。
 この2つは、互いに相俟ってのことであって、「やすらぐ」は、花の揺れようであり峠の景であり、そこへ辿り着いた月鈴子の心持ちである。
 
 久保田月鈴子は、大正5(1916)年-平成4(1992)年、東京出身。東大に在学中「馬酔木」に投句、加藤楸邨を知り、俳句に人間を生かすという楸邨の主張に共鳴して、「寒雷」創刊と同時に入会、編集長を務めた。「富士ばら」「現代俳句」を主宰。

■3句目

  夕風は黃釣船よりはじまりし  木附沢麦青  『現代歳時記』成星出版 
 (ゆうふねは きつりふねより はじまりし) きつけざわ・ばくせい

 夏から初秋に咲く釣舟草は、帆掛船を吊り下げたように見える花である。昼間の暑さは、夕風が吹きはじめる頃には、秋の涼しさの気配が漂いはじめる。
 この作品は、黄釣舟の花が揺れはじめているから夕風が吹きはじめたことに気づいたのか、夕風が出てきたから黄釣舟が揺れはじめたのか、どちらであろうか。きっと、どちらでもよいのだ。
 こうした時の流れの微妙な瞬間を捉えたことが、すばらしいのだから。