第六百五十五夜 高浜虚子の「百日紅」の句

 1862年8月29日の今日は、メーテルリンクの誕生日。久しぶりに、岩波少年文庫の『青い鳥』を出して読んだ。大人の小説も、少年少女小説も絵本も同じように、深さがあり、考えさせられることの多さを思った。
 「思い出の国」から好きな箇所を1つ挙げてみよう。
 
 「きょうあたり、生きている孫たちが、きてくれるような気がしますねえ。わたしの目の中で、うれしなみだがおどっていますもの。」と、おばあさんがいいました。(略)
 「ぼくたち、きたくっても、こられなかったんです。きょうは、魔法使いのおばあさんのおかげで、こられたんですよ。」と、チルチル。
 「わたしたちはね、いつでもここにいて、生きてる人が会いにきてくれるのを待っているんだよ。おまえたちが、思いだしてくれるだけでいいんだよ。そうすれば、このとおり目がさめて、おまえたちに会うことができるんだよ。」と、おじいさん。
 「なあんだ、思いだすだけでいいのか。おどろいたなあ。」と、チルチル。
 「もしみんながお祈りしてくれると、なおいいんだがね。お祈りすることは、思いだすことだからねえ。」と、おじいさんがいいました。

 今宵は、8月から9月までの長い花期の「百日紅」を紹介しよう。
 
■1句目

  炎天の地上花ある百日紅  高浜虚子 『ホトトギス 新歳時記』
 (えんてんの ちじょうばなあり さるすべり) たかはま・きょし

 「百日紅」は「さるすべり」または「ひゃくじつこう」と読む。この虚子の作品も「ひゃくじつこう」と硬い調子で読みたいところである。
 
 句意は、次のようであろうか。この炎天下に、おそらく街路樹の百日紅は、濃いピンク色の花を毎日咲きつづけ、虚子が「地上花」と詠んだように地上に花を落とし続けている。
 
 わが住む街の一角に百日紅の街路樹のつづく通りがある。花期が長いこともあって華やいだ雰囲気である。細かな花の1つ1つは丸くてくしゃくしゃとした小花が毬のように固まっていて、次々落ちてくる地上はピンク色で美しい。
 「炎天の地上花」と捉えたところが凄い。「炎天」と炎天下を咲きつづける「百日紅」と、季重なりの句にしたことで、1句全体が、揺るぎない真夏の景となった。

■2句目

  宝前の百日白に人憩ふ  高浜年尾 『ホトトギス 新歳時記』
 (ほうぜんの ひゃくじつはくに ひといこう) たかはま・としお

 句意は、詣でた神社には、白いサルスベリ「百日白(ひゃくじつはく)」が咲いていた。ピンク色の華やかな「百日紅」とは異なり、神社にふさわしい落ち着いた花の色であった。
 お詣りしたあとには、「百日白」の木陰で憩う人たちの姿があった。

 「百日白」の例句を探していて、出会ったのはこの1句だけであった。

■3句目

  散れば咲き散れば咲きして百日紅  加賀千代女 『カラー図説 日本大歳時記』
 (ちればさき ちればさきして さるすべり) かがの・ちよじょ)

 「百日紅」は、インドやパキスタン原産の木で、中国を経て渡来したという。寺の庭などに植えられることが多い。百日紅の100日という散っては咲き、散っては咲き、夏から9月まで長い花期を楽しませてくれる。
 加賀千代女(かがの・ちよじょ)は、〈朝顔に釣瓶とられてもらひ水〉などで知られる江戸中期(1703-1775)の女流俳人。

 「百日紅」の鑑賞をするにあたり、百日紅の花のことを調べた。塊のように咲いているが、1つの花のように見えるのは花弁であって、百日紅の1花は、花弁が6枚と雌蕊1本とたくさんの雄蕊からなっている。
 なんとも不思議な複雑な花であることを知った。