第六百五十七夜 松尾芭蕉の「萩と月」の句 1

第六百五十七夜 松尾芭蕉の「萩と月」の句 ★スミ

能「奥の細道」を読む
1・芭蕉と虚子

 新作能「奥の細道」は、昭和18年の芭蕉二百五十年忌記念作品として、日本放送協会と日本文学報国会依嘱により書いたもので、虚子は他に、1作目の大正5年の「鐵門(てつもん)後に善光寺詣と改題」、大正8年の「実朝」、昭和15年の「青丹吉」と「時宗」、昭和17年の「義経」など6作品を書いている。
 能「奥の細道」は、芭蕉が元禄2年に弟子の曽良と共に約150日に亘り東北・北陸を旅した紀行文『おくのほそ道』(元禄15年刊)を題材に、越中市振(いちぶり)での作「一つ家に遊女も寝たり萩と月」の場面が主題である。
 
  一つ家に遊女も寝たり萩と月
 (ひとつやに ゆうじょもねたり はぎとつき)
  
 この作品には、『笈の小文』序章から引用した芭蕉の主要な俳句観が、虚子によって簡潔な謡の詞章として表現されている。
 それでは、能「奥の細道」を追ってみよう。
 
2・能「奥の細道
 
 ■前場・市振の宿
 
 前場(まえば)は、芭蕉が市振の宿に到着した場面。シテの芭蕉、ワキの市振の宿の主、地(地能=謡曲の地の文の部分を大勢で謡う)が登場して、代わる代わる奥の細道を尋ね来た経緯や芭蕉のことを語り出す。
 
 まず、芭蕉が隠者となって俳諧一筋の道を歩み来たことを、虚子は、紀行文『笈の小文』の序章に拠って登場人物に語らせる。
 「百骸九竅(ひゃくがいきゅうきょう=人体を構成している多数の骨と九つの穴(両眼、両耳、両鼻孔、口、前陰、後陰)のこと)の中に物有り。かりに名付けて風羅坊(ふうらぼう)といふ。誠にうすもののかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好むこと久し。終に生涯のはかりごととなす。ある時は倦んで放擲せん事をおもひ、ある時はすすんで人にかたむ事をほこり、是非胸中にたたかうて、是が為に身安からず。しばらく身を立てむ事をねがへども、こが為にさへられ(=妨げられ)、暫く学んで愚を暁(さとら)ん事をおもへども、是が為に破られ、つひに無能無芸にして只此の一筋に繋る。西行の和歌における、宗祗の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其の貫道(かんどう)する物は一(いつ)なり」
 
 シテ「これは芭蕉といふものなるが。僧にて僧にあらず」地謡「又俗にて俗にあらず。唯病身に倦みて。世を厭ひたる人にも似たり」
 
と、シテの芭蕉が僧形をしている理由を語り出し、芭蕉は出家の姿だが僧というわけではなく、隠者(いんじゃ、俗世との交わりを避けてひっそりと隠れ住む人。隠遁者のこと)であることがわかる。西行は自由を求めて出家、宗祇も出家、雪舟は僧侶、利休も僧形だったが、当時は隠者となることで、士農工商の身分の枠外にあって自由の身分を得ることができた。
 僧形で旅をする中で芭蕉は、精神を自由にして己の芸術(風雅)の道を獲得できた。
 
 中世時代に成熟した日本固有の閑寂な美の芸術を、西行は和歌で、宗祇は連歌で、雪舟は水墨画で、利休は茶の湯で、芭蕉は俳諧で、というように各分野で獲得したが、それが、『笈の小文』の「貫道する物は一なり」ということである。
 続いて、シテと地謡は、俳諧は和歌からの流れの中で生まれたことや、芭蕉の俳句観を語りはじめた。
 
 地「人麿赤人之なり。人麿は情を述べ。赤人は景を述ぶ。心を摧(くだ)くは一つなり。其赤人の流を引き。こゝに俳諧起れり。我日の本の美はしき。山高く海深く。四時の変化も正しくて。天地自然を友となし。花鳥風月を諷詠し。神細り気凝りて。言葉花咲き風懐実る。世々を経て。この道愈々盛んなる。此の世迄も盡くるまじ」
 
 人麿は柿本人麻呂、赤人は山部赤人。この詞章は、この新作能「奥の細道」の作者である虚子の「花鳥諷詠」の俳句観そのものと考えられる。虚子は景を詠った山部赤人を好んだという。
 俳句は、和歌から俳諧を経て、芭蕉から現代へと受け継がれた日本古来の詩だと、シテは語っている。
 否、虚子の作った新作能であるから、虚子がシテに語らせている、となろうか。
 
 さらに読み進めていこう。
 宿の隣の部屋から三人の遊女と年老いた男のひそひそ声が漏れ聞こえている。男は、伊勢参宮に行く3人の遊女をここまで送ってきて、明日は新潟へ戻ると言っている。
 
 地「千里に旅立って。旅糧(たぶがて)を包まず。人の情に生くる身は。彼の遊君(ゆうくん=あそびめ)と異らず。恋の句も俳諧の。大事と知ろし召さゞるや」
 
 謡とともにシテの芭蕉は橋懸かりをゆっくり去ってゆく。芭蕉は、行く先々で世話になりながら旅をする芭蕉自分と、毎夜知らぬ男に身を任せる遊女とは、同じ人の情に生くる身であると謡い、さらに、恋の句(遊女に懸ける)も俳諧(俳諧師芭蕉に懸ける)の中で大事な役割である、と謡う。
 
 ※今宵はここまで。
  明晩の第六百五十八夜では、中入と後場を続けます。