第六百五十八夜 松尾芭蕉の「名月」の句 2

 昨夜の第六百五十七夜に続いて、今宵は、高浜虚子の新作能「奥の細道」の中入と後場を紹介してみよう。
 
 ■中入・夕顔という遊女
 
 中入(なかいり)とは、能の間狂言のことで、シテ方が舞台を去った後に狂言方があらすじを語る。能「奥の細道」の中入りでは遊女二人が脇役ヲモとアドとして登場し、もう一人の夕顔は二人の遊女の話の中だけに登場するが、舞台には現れていない。
 原文『おくのほそ道』は「一間隔て面(おもて)の方(かた)に若き女の声二人計ときこゆ」とある。
 『おくのほそ道』は全体が連句の構成になっていて、恋の座である市振の場面は、同行者曽良の旅日記にも書かれていないことから、芭蕉の創作と言われる。
 
 ということは、虚子は、能「奥の細道」でさらに遊女夕顔を話の中に登場させる創作をしたということになる。芭蕉の陸奥・北陸の旅の目的は、「耳にふれていまだめに見ぬさかひ」を見ること、西行の跡を辿ることであった。そして、芭蕉と虚子は共に、市振の場面を創作する際に、謡曲「江口」──西行と遊女・妙の一夜の宿をめぐっての知的な歌の応酬──を思ったのであった。
 
  世の中をいとふまでこそ難からめ 仮の宿りを惜しむ君かな   西行
 (よのなかを いとうまでこそ かたからめ かりのやどりを おしむきみかな) さいぎょう
    
  世をいとふ人とし聞けば仮の宿に 心とむなと思ふばかりぞ   遊女妙
 (よをいとう ひととしきけば かりのやどに こころとむなと おもうばかりぞ) ゆうじょ・たえ
 
 遊女夕顔は、他の二人の遊女と違って文のすらすら書ける江口の君(遊女妙)を思わせ、その名からは源氏物語の頭中将(とうのちゅうじょう)と光源氏の二人に愛された夕顔の君を思わせる。
 ヲモとアドとして登場する遊女二人と夕顔とはどうやら育った文化度が違うようで、狂言という特殊な表現ということもあるが、次の文が、遊女二人のものである。
 
 ヲモ「たど/\しくも書く事は。あまい笹飴食べたく候」
 アド「とぎれ/\に書く事は。からい塩烏賊(しおいか)食べたく候」
 
 後場に登場する夕顔とは、全く雰囲気の違う遊女たちである。
 
 ■後場・萩と月
 
 後場(のちば)では、芭蕉は隣の部屋の洩れる声を聞きながら寝入ったが、明け方、夕顔が宿の主とともに芭蕉を訪れた。
 
 ツレ(夕顔)「我等は賤しき遊女なるが。女許りのやるかたなく。これより伊勢に赴かんに。お僧の伴い賜んこと。ひとへに頼み申すなり」
 シテ「一つ家に。遊女も寝たり萩と月。これぞ今宵の風雅なる」
と、シテの芭蕉は一句詠み、さらに謡い続けます。
 シテ「不便の人の頼みをも。見捨てゝ我は行く雲の。とゞまるところ多き身ぞ」
 
 芭蕉は、遊女の身の上に深く同情はしているものの、神明の加護は必ずあるから恙なき旅であるようにと言って、同行の頼みは断って別れた。原文では「云捨(いいす)て」とあり、芭蕉は対人間的な悩みや苦しみに引きずられることはなく、きっぱりと断っている。一見冷たいようにも思われるが、生老病死のすべてを深い意味で「あるがまま」と捉えるのは、自然を詠む詩人の行きつく境地であろうか。
 この生死観は、この能「奥の細道」の作者の虚子自身の考えでもあった。
 
 ツレの夕顔は、「一つ家に。遊女も寝たり萩と月」と謡いながら中(ちゅう)の舞をはじめる。中の舞には、序の舞と急の舞との中間の速度でまう舞のことで、美女・喝食(かつじき=半僧半俗の少年)の舞うものや、妖精・天女などの舞うものとがある。
 虚子は、原文『おくのほそ道』には登場しない夕顔を、現(うつつ)か幻の遊女かわからないように登場させている。
 能の舞について、虚子は「極楽の文学」(『玉藻』昭和二八年)で次のように言っている。
 
 「能楽には舞というものが付物である。悲惨な人生を描いたものであっても、その悲惨に終わった主人公が必ず(多く)舞を舞う。何故舞を舞うかというと、これに依って救われたことを意味するのである。この舞に依って今までの生涯が救われ、極楽世界に安住することを示すものである。」
 
  一つ家に遊女も寝たり萩と月
 
 句意は、風雅な世捨て人の自分と、同じ旅の宿にたまたま遊女たちと泊まり合わせたが、折しも地上を照らしている月と照らされている萩のようだ、ということである。
 この句を謡い、中の舞を舞うことで、夕顔は救われてゆくである。
 
 シテ「北国日和(ほっこくびより)定めなく」
 シテ「笠を取り、杖をつき」
 
 シテである芭蕉は謡いながら静かに舞台を一巡する短い舞を舞うと、橋懸かりを鏡の間へと向かってゆく。
 
  名月や北国日和定めなき  松尾芭蕉
 (めいげつや ほっこくびより さだめなき) まつお・ばしょう
 
 この芭蕉の句は、「おくのほそ道」紀行の終わり近くの福井の種の浜(いろのはま)での作。前日は見事な月夜だったが、明日の晩も同じように晴れるとは限りませんよ、と謡われるように北陸地方の予測しがたい天候が「北国日和定めなく」である。
 観客は、橋懸かりを戻ってゆく芭蕉を観ながら、雨の日も風の日も笠を被り杖をついて俳諧の旅路を続ける姿を想像する。