第六百五十九夜 角川春樹の「鴈(がん)」の句

 わが守谷市から、東へ東へ車を走らせて龍ヶ崎市を越え、競馬の美浦トレーニングセンターを越えた辺りに、霞ヶ浦が見渡せる原っぱが広がっている。原っぱは稲刈りの済んだ田んぼであった。広い水路があり、うつくしい流れであった。田んぼでは鳥たちが盛んに落ち穂を啄んでいる。
 夫を誘っての早朝ドライブだ。自然の中へ出かけてゆくと、なにかしら素敵なことに出合う。
 しばらく見ていると、田んぼで啄んでいた鳥たちが、互いに合図を交わしているのだろうか、それはわからないが、いっせいに飛び立った。みるみる鳥たちは1本の棹となり、やがて、V字形となって北の方角へ飛んでいった。
 「ああ、雁だったんだ! きれいな棹だね!」
 鳴き声だけでは、原っぱに散らばった1羽ずつでは、鳥の種類を見分ける力は私たちにはないが、「棹」となって空を飛んでいる姿を見たとき、初めて「鴈」だとわかった。
 今日のドライブの宝物であった。
 
 その後、つくば市の映画館で、2001年のフランス映画「WATARIDORI」を観た。撮影に3年、製作費に20億円を費やし、100種類以上の渡り鳥たちとともに地球全土を旅した驚異の映像が展開されていた。
 1時間ほどの映画だったが、渡り鳥が前へ前へと、ひたすら飛んでゆく姿を見ることが1本の映画の全てであった。退屈しないかと問われれば退屈でもあったが、監督は観客に、鳥たちの「ひたすらな顔」を見続けてほしかったのかもしれない。
 「WATARIDORI」には、雁の渡りの姿もあった。
 
 今宵は、「鴈(がん)」、「かり」、「かりがね」の作品をみてみよう。

■1句目

  一枚の空に雁ある絹の道  角川春樹 『流され王』
 (いちまいの そらにかりある きぬのみち) かどかわ・はるき

 句意は、こうであろうか。作者は絹の道(シルクロード)を旅したことがあった。シルクロードの広大な砂漠を駱駝に乗ってゆくと、ゆけどもゆけども境目のない1枚の空に、雁が飛んでいるのを見ましたよ、となろうか。

 「絹の道」とは、中央アジアを横断する古代の東西交易路の総称で、敦煌など遺跡で有名な町もある広大なシルクロードとして考えた。シルクロードにも訪れたかもしれないが、春樹氏の略歴には、モンゴル共和国を訪れたとある。句集『流され王』に〈流されてたましひ鳥となり帰る〉があるが、春樹死の作品はとくに、民俗的伝統への傾倒を示し、あらぶる神々への共感が句の特色となるという。 
 句集『流され王』が象徴する民族国家の王とは、滅ぼされて魂となり鳥となって流されるように、「一枚の空」を飛んでゆくのであろうか。

 映画「WATARIDORI」にも雁の渡る映像が流されていた。春には北から南へ、秋には南から北極に向けて飛んでゆくのだという。
 
■2句目

  鴈や死は遥かともそびらとも  古賀まり子 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (かりがねや しははるかとも そびらとも) こが・まりこ

 句意は、こうであろうか。大空を雁が渡ってゆく。雁を眺めながら死を考えていると、死は遥か遠くにあるようでもあり、死はわが背にぴたっと貼り付くごとく近くにあるようでもある、と。
 
 死は、まり子の心からなかなか離れることはなかったが、信仰があり俳句があることによって、90歳の天命を全うしたのであった。

 古賀まり子は(大正13-平成26)年、横浜市生まれ。若くして結核を患う。療養中に俳句を始め、水原秋桜子に師事し「馬酔木」同人となる。昭和29年、堀口星眠の「橡」創刊同人。若い頃から死と隣り合わせの療養生活を送ったこと、またキリスト教の信仰などから、〈今生の汗が消えゆくお母さん〉など、命の尊さを見つめる句を多く作った。