第六百六十七夜 阿波野青畝の「蓑虫」の句

 蓑虫(ミノムシ)は、チョウ目・ミノガ科のガの幼虫。幼虫が作る巣が、藁(わら)で作った雨具「蓑(みの)」に形が似ているため、日本では「ミノムシ」と呼ばれるようになった。木の細枝や葉を綴り合せて灰褐色の巣を作る。枝からぶら下がって揺れているのをよく見かける。夜になると蓑から出て木の葉を食べる。

『枕草子』を見てみよう。
蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐しき心あらんとて、親のあやしき衣ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ来むとする。待てよ。」と言ひおきて、逃げて去にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ。」とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり。

昔は「蓑虫鳴く」として季題にしたが、実際には鳴かない。蓑虫の傍題に「鬼の子」「鬼の捨子」があるが、上に引用したように、『枕草子』からきている。

 写真で見ると、蓑虫の蓑はいろいろあるが、蓑にする葉や小枝が決まっているわけではないためである。最近見かけたのは、大きな公園を歩いていたときで、ぶらーんと、気持ちよさそうに垂れて揺れていた。

 今宵は、「蓑虫」の作品をみてみよう。

■1句目

  蓑虫の此奴は萩の花衣  阿波野青畝 『阿波野青畝全句集』
 (みのむしの こやつははぎの はなごろも) あわの・せいほ

 句意はこうなろうか。青畝の出合った蓑虫は枯色の葉っぱや小枝ではなくて、萩の花弁を纏っていたという。「此奴は萩の花衣」とは、秋といえば萩の花というほどの花弁を蓑虫の分際で身に纏うとは、小癪な奴め、といった気持ちから出たものであろう。
 もちろん、青畝独特のユーモアである。
 
 阿波野青畝には、関西言葉の滑らかな調子から古語や雅語を駆使した、独特の美と飄逸さがある。虚子の「ホトトギス」の黄金時代に活躍し、水原秋桜子、山口誓子、高野素十と共に名前の頭文字から「四S」の1人と言われた俳人。

■2句目

  蓑虫の父よと鳴きて母もなし  高浜虚子 『五百句』
 (みのむしの ちちよとなきて ははもなし) たかはま・きょし

 句意はこうであろう。上五中七の「蓑虫の父よと鳴きて」は、枕草子の「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあわれなり、から戴いたものであるが、下五を「母もなし」として、蓑虫をみなし子にしてしまい、さらに「いみじうあわれなり」となった。

 虚子は、明治14年に能楽に造詣の深かった父政忠を亡くし、掲句が詠まれた明治32年の前年、明治31年に虚子を溺愛した母を亡くしている。「母もなし」として、虚子の心は納得し、作品は完成したのではないだろうか。

■3句目

  蓑虫や秋のまんまん中へふらり  龍岡 普 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (みのむしの あきのまんまんなかへ ふらり) たつおか・しん

 句意はこうであろう。作者が散策している時のことだ。目の前に、蓑虫がふらりと下がってきた。おおっ! どこからやってきたのか? と見上げると、木々は色づいており青空がひろがっている。この蓑虫は秋のまんまん中へふらり降りてきたのであったのだ。
 
 中七下五の「秋のまんまん中へふらり」とは、なんという大きな大きな景であろうか。そこへ糸を繰り出しながら降りてきたのは、みすぼらしいほどの枯葉を纏った、ちいさな1匹の蓑虫であったのである。
 
 だが、なんという爽やかさ清々しさであろう。

 龍岡普(1904年12月16日 – 1983年10月15日)は、東京出身の俳優、演出家、文学座社長、俳人。師は久保田万太郎である。