第六百六十八夜 長谷川かな女の「けら鳴く」の句

 今日は、青森県出身の板画家。版画でなく「板画」である。「わだば、ゴッホになる」と目指した棟方志功の忌日である。
 棟方志功の『板画華』より、「ないものを見る」の一文を紹介してみよう。
 
 頭が3つもあったり、多いのは11もあるという施無畏の世界等々は、わたくしも最も好きになる姿です。目が3つあったりしているから、その額にある目は、なんの目ですか、と聞かれたら、ああこれは、心眼といってナ、こころをのぞく目だよ、ハーンなるほど、そんな便利な目まである世界ということは、ほんとうに、絵のような世界ですね。(略)
 板画だって、そうです。化物だか、幽霊だか、判らないような、ところまで、のし上がらなくては、ほんとうの仕事に、いや、板画にならないんだから、可笑しいものです。
 化物といいましたが、本当に仕事というものは、化物にならなくては駄目なんです。普通に、写生したものをそのまま下絵に描いて、それを彫ったところで、本念の板画が、うまれません。とくにホトケサマを板画にしようとしたり、神さまを板画にしたりするには、あるところまで、自分をそのところまで祭っていただかなくては、筆も、刀も執れないんです。あるものを見るというのではなく、ないものを見るというのが本念なんですから、そうなんです。
 
 今宵は、「螻蛄鳴く」「蚯蚓鳴く」の作品を紹介しよう。

■1句目

  けら鳴くや第三の眼の開きし夜  長谷川かな女 『定本かな女句集』世界文庫
 (けらなくや だいさんのめの ひらきしよ) はせがわ・かなじょ

 句意はこうであろう。田畑の土中に住む3センチほどの螻蛄(けら)の鳴き声は、低く重く哀れを感じさせるもので、まるで、人の心の奥処にあるという「第三の眼」が開かれるようですと、となろうか。
 
 けら(螻蛄)は、分厚いスコップのような前脚で穴を掘り進んで地中を動き回りながら暮らしている。晩春から秋まで鳴くが、とくに鳴き声は地底から響き、低く沈んで重くあわれを感じさせる。けらの低い声をずっと聞いていると、いつかしら物思いに耽り、直感力がはたらきはじめる。
 
 長谷川かな女は、高浜虚子が大正2年に女性の趣味教育の試みとして、最初に声をかけた人であった。ホトトギスの俳人長谷川零余子の妻となったかな女に、虚子は、この人ならと思わせる何かを感じたのであろう。これは虚子の「第三の目」であり慧眼であった。
 かな女の作品は、〈藻をくぐつて月下の魚となりにけり〉など、たおやかな詠み方の中に、明るさばかりでない「なにものか」を秘めている。
 
 「第三の眼」とは、直感力であり、さらに棟方志功の言う「ないものを見る」という本念なのである。
 掲句は、かな女の作品の中でとくに有名な句ではなかったように思うが、今回、この作品によってかな女の別の一面、強さという一面に触れることができた。。
 
■2句目:代表作より

  藻をくゞつて月下の魚となりにけり  『雨月』

 句意はこのようであろう。井の頭公園へ吟行した時の句である。池を覗き込むと藻が揺れて女人の髪の毛のようであったという。昭和3年に夫零余子が亡くなって2年後の昭和5年、夢中で零余子の志を継いで結社を率いてきた。絡みつく悲しみの藻の中で鈍い光を放つ「月下の魚」は、かな女自身の投影のように思われる。
 こうした飛躍もまた、「第三の眼」による直感と言えるのではないだろうか。
 
 第2句集『雨月』の後記で、「特にお月が好きな私に雨月は自分の生涯にも似たやうに思はれたので題としました」と、かな女は書いた。『雨月』には、第1句集『龍胆』に収めた句も含められており、夫が亡くなって10年経った52歳のかな女の、自然観照へと踏み込んだ、俳句への意気込みの感じられる句集である。かな女は、昔の恩師である虚子に序文を依頼して、この句集を飾ることができた。
 昭和43年、かな女は81歳で亡くなるまで女流俳人の第一人者であった。