第六百六十九夜 鍵和田秞子の「秋茄子」の句

 夫の趣味から始まった畑では、今、秋茄子のピークである。スーパーで買うのとは違って、野菜が育ったら、育っただけどーんと畑から提げて帰るのがここ守谷に住んでからのわが家である。最初は、順番に少しずつ採ってきてねとお願いし、ある時にはこんなにたくさんは食べられないと怒り、なんとか譲り合って現在がある。
 
 茄子のサイズは、スーパーで売っているものより大きい。しかも大きすぎる茄子は、下のほうが固くなり包丁を入れるとぶつぶつがある。じつは、その部分は美味しくない。料理の本には、小さくて引き締まった茄子が美味しいと書いてある。
 
 不満もあるが、76歳の後期高齢者である主婦は、なるべく苛立たず、怒らないようにして美味しい部分だけ食べる。52年の主婦歴なので、いつも工夫することを考えることで、料理もそれなりに増えている。
 そして夫には「お茄子、ありがとう」と言うことを決して忘れてはいけないことかしら・・面倒な夫である。
 こんな日常のわが家の茄子事情であるが、何と云っても美味しい秋茄子である。

 今宵は、秋茄子を食べ、「秋茄子」の作品を紹介しよう。

■1句目

  秋茄子や初老といふは水に似て  鍵和田秞子 『鍵和田秞子全句集』ふらんす堂
 (あきなすや しょろうというは みずににて) かぎわだ・ゆうこ

 句意はむつかしそうだ。秋茄子は水分を多く含んでいる。油で炒めても、湯がいても、ちょっと押すとしぼんでしまうほどだ。その秋茄子が季語である。中七下五の「初老といふは水に似て」と、どう響き合うのだろうか。
 
 「初老」とは60歳前後の人のことで、現代では「初老」と形容するのは気の毒なほど若いが、人生の節目の歳とも言える。
 「水に似て」とは、水は形をもつことなく、どんな器にも添い、どこへも流れてゆくこともできる。初老を迎えた年代となると、あらゆるころに適応できる能力も身についている。
 
 季語を「秋茄子」としたのは、秋になって旨味を増した秋茄子こと、人間で言えば「初老」の豊かさを備えることができてきた年齢の人との、響き合いかもしれない。
 
■2句目:嫁に食わすな

  秋茄子や嫁二人住む屋敷うち  小川ハナ子 『新版・俳句歳時記』雄山閣
 (あきなすや よめふたりすむ やしきうち) おがわ・はなこ
 
 句意は、美味しい秋茄子の時期になったが、この大きな屋敷には嫁が2人も住んでいますよ、となろうか。

 「秋茄子は嫁に食わすな」と昔から言われている。また、嫁に食わさないのは、秋茄子に種がないので、子ができないといけないからという説がある。そんな風に言われるほど、秋茄子というのは旨いとされている。
 
 屋敷を牛耳っているのは姑。跡継ぎはたくさん生んで欲しいが、美味しい秋茄子を嫁たちに快く食べさせるのは面映ゆいのだ。

■3句目:紫紺

  朝市の秋茄子の色云々す  能村研三 『新版・俳句歳時記』雄山閣
 (あさいちの あきなすのいろ うんぬんす) のむら・けんぞう

 句意はこうであろう。朝市では、この時期になると秋茄子がつやつやと並んでいる。売り手と買い手の会話が聞こえてきそうだ。 「お客さん、この茄子の紫紺、見てくださいよ。」と売り手。「高いなあ!」と客。「いやあ、絶品の秋茄子ですよ。」と売り手。
 
 こういった会話の後、作者は、今夜は焼き茄子にして。あとは一夜漬けがいいなと考えて、笊いっぱいの秋茄子を買って帰っていったに違いない。