第六百七十六夜 沢木欣一の「天の川」の句

 見事に晴れ渡った1日であった。敬老の日の今日は、つくば植物園をぶらり散歩して、つくば市の洞峰公園脇のケーキ屋さんで久しぶりにのんびりした。美しい晴天のままに夜となり、今、東の窓から皓々としたまあるい月が上がっている。
 月のカレンダーでは今宵は輝面率(きめんりつ)が99.6%だという。輝面率という言葉は初めて知ったが、輝面率とは月の光っている部分の面積率のことで、夜20:00時点の輝面率で計算しているという。新月の輝面率が0%、満月は100%だそうだ。
 9月の満月は、明日の21日(火曜日)の午後18時8分。中秋の名月である。満月は、見逃さないようにしなくては・・!

 今宵は、「天の川」の作品を紹介してみよう。
 
■1句目

  荒海や佐渡に横たふ天の川  松尾芭蕉 『奥の細道』
 (あらうみや さどによこたう あまのがわ) まつお・ばしょう

 句意は、出雲崎から佐渡ヶ島を眺めると、夜空には天の川が横たわっているように架かっていましたよ、となろうか。
 
 『奥の細道』によると、元禄7年4日、越後路を越えた出雲崎で詠まれた作であるという。「よこたふ」は元来他動詞で「よこたへる」であるが、自動詞的に「よこたはる」のように使われることが多いという。

■2句目

  天の川柱のごとく見て眠る  沢木欣一 『雪白』
 (あまのがわ はしらのごとく 見て眠る) さわき・きんいち

 句意はこうであろう。沢木欣一も芭蕉と同じ、新潟県出雲崎から佐渡ヶ島を眺め、天の川を見たものである。欣一には、天の川がまっすぐに柱のように立っているのが見えたという。

 自註現代俳句シリーズ『沢木欣一集』には、「出雲崎で一軒の旅館に泊まった。暗く、心細い一夜であったが、天の川の鮮やかさに満足した。海から中天へ光の柱が立っていた。」とある。
 
 もう30年近く前のこと。女優の結城美栄子のトークを新宿の高層ビルの会場へ聴きに行ったことがあった。確か『賢治ワールド』の著書を購入したのはその会場でだった。 
 結城美栄子のトークは別の会場で、天の川の話を聴いたことがあった。「天の川の尾っぽは佐渡の海へ落ちるのよ」という件(くだり)は鮮明で、今も、天の川を眺める度に思いだす。

 沢木欣一の、「海から中天へ光の柱が立っていた。」は理解できる。地球は丸いから、天の川のように長いものは、見える範囲の向こうへ続いていると、海から中天に立っているように見えるのだと思う。
 結城美栄子の「天の川の尾っぽは佐渡の海へ落ちるのよ。」も、きっと同じことで、私も、地球は丸いからだと思っている。

■ヨコとタテ・・

 この2つの作品を並べたとき、「ヨコとタテ」がテーマであろうかと考えたが、芭蕉の「佐渡に横たふ」は、「タテ・ヨコ」の感覚で捉えなくてよいのではないだろうか。「よこたわる」は「ながくのびている」で良いように思った。
 欣一の「柱のごとく」も同じように考えると、「柱=タテ」ではなく、天の川の端が丸い地球の海の果にあると、そこで途切れてしまうので、海の果に柱のように立っていると目に感じたのであろうか。
 
 欣一の「柱のごとく」の後の「見て眠る」の措辞から、この句を詠んだ17歳の欣一の若さ特有の、なんとも言えない潔さを感じた。