第六百七十七夜 飯田龍太の「満月」の句

 今日も秋晴の美しい1日となり、楽しみにしていた今宵は、茨城県常総市へ北上しながら、東側となる筑波山の方角に出る満月であった。18時04分、この瞬間をドライブしながら満月を見ることができた。晴天そのままの夜空には雲ひとつ架かっていなかった。紺碧の空に黄金の満月というのは美しい。だが余情に少しく欠けているようであった。後藤夜半の〈十五夜の雲のあそびてかぎりなし〉のように雲があってこその十五夜の美しさなのかもしれない。同じく夜半の〈今日の月すこしく欠けてありと思ふ〉のように、100%の輝面率の月は、完璧な美女が1番モテるわけでもないことからもわかるが、やはり余情に欠けると言えようか。

 今宵は、満月の俳句を紹介してみよう。

■1句目 満月

  満月のなまなまのぼる天の壁  飯田龍太 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (まんげつの なまなまのぼる てんのかべ) いいだ・りゅうた

 句意はこうであろう。東の空から昇ってくる満月は驚くほどの巨大さで、まるで天の壁を生きているものが這い登ってくるように感じられましたよ、となろうか。
 
 満月が東の空に出て、だんだん昇ってくるが、地平線からのぼり始めた月は大きく見える。何故だろうと調べてみたら、それは目の錯覚だという。そう言われるとますます解らなくなるが、月の大きさそのものが変わる方がおかしな事なので「目の錯覚」だと思うことにしよう。
 
 飯田龍太の「なまなまのぼる天の壁」の捉え方も見事な表現である。「天の壁」もまた表現上の錯覚の1つで、ある筈はないが理解できる。

■2句目

  名月や門の欅も武蔵ぶり  石田波郷 『現代俳句歳時記』角川春樹編     
 (めいげつや もんのけやきも むさしぶり) いしだ・はきょう

 句意はこうであろうか。今日の名月を見に、とある寺を訪ねた。門の脇には、武蔵野に多い欅大樹が聳えていましたよ、となろうか。
 
 ここは、石田波郷が新居を構えた練馬区谷原の長命寺ではないだろうか。私も、30年前までは練馬区谷原に住んでいたことがある。石田波郷の俳句が好きだった父と、波郷の住んでいた辺りを散策していると「石田波郷旧居跡」の立て看板を見かけた。長命寺への最寄りの駅は練馬高野台にある。境内には大きな欅が立ち並んでいた。

 この作品に惹かれるのは、句の調べであろうか。名月も武蔵ぶりの欅も、躍動している。

■3句目

  椎茸の耳立てゝゐる良夜かな  渡辺桂子 『新歳時記』平井照敏
 (しいたけの みみたてている りょうやかな) わたなべ・けいこ

 句意はこうであろうか。椎茸を原木づくりしているのだろう。春と秋の収穫があるがこの椎茸は秋の満月の頃に穫れる。ホダ木の積んである場所に行くと、椎茸がちょうどよい大きさに育っていた。椎茸は原木から飛びだすような形だが、作者の渡辺桂子は、その形を「耳立てている」と見て取った。

 わが家では、九州の伯母(母の姉)から、毎年のように年末には、秋に干し上がったばかりの色艶のよい、ドンコという肉厚の上等な干し椎茸が送られてきた。伯母も母も亡くなったが、今も伯母の長男夫婦が丹精しているドンコを送ってくださる。
 煮物がやっと美味しく作れるようになったのは、ここ10年ほど。ドンコは温めの湯にひたして戻すが、その戻し汁が美味しい出汁となるので、余すことなく戴いている。
 
 渡辺桂子さんの「耳立てている」は、従兄弟の家を訪れたとき、裏の木立で原木づくりの椎茸畑を見せてもらったが、斜め上に向けて出てくる椎茸は、思い出すと確かに耳立てているようにも見えた。夜には、椎茸の森で、妖精たちが内緒話を聞かせているかしらなど、想像は自由である。

 渡辺桂子は、明治34年-昭和59年、東京生まれ。渡辺水巴創刊の「曲水」に入り、やがて水巴の妻となった。