第六百七十八夜 加藤知世子の「水澄む」の句

 9月20日の敬老の日、つくば植物園に出かけた。現在、杖をついている私は、広大な園内の3分の1ほどしか見ることはできなかったが、これまでも、年に数回は行っている場所なので、今日のテーマである「水澄む」池や小流れの紹介はできそうだ。
 
 まず、入口にはじまるメタセコイヤの巨木の並木道を抜けて、小道を下ってゆくと池がある。池畔には曼珠沙華の群落があり、夏にはコウホネの黄色い花が池の中に咲く。咲き残った1つがあった。もう少しゆくと池面に木道がかけられていて、夏には半夏生(ハンゲショウ)の群落がある。今回は池の周りに濃いピンクの釣舟草が盛りであった。花は舟の舳先の形をしている。風が吹けば、漕ぎ出しそうに揺れていた。
 池の端の方は、澄んだ水が小流れとなって入り込んでいる。
 
 ここまでが低地で、木立の間をぬけて坂を上がると、砂地の植物群がある。この辺りにも小流れがある。9月下旬の20日の、つくば植物園の中はとても爽やかであった。
 
 今宵は、「水澄む」「秋の水」の作品を見てゆこう。

■水澄む

  水澄みて恋をする瞳がよくのぞく  加藤知世子 『黄炎』
 (みずすみて こいをするめが よくのぞく) かとう・ちよこ

 句意は、恋をしていると鏡を見たくなるらしい。恋人を見るときのわたしの表情はどんなかしら、可愛く見えるかしらと、何度も澄みきった水に顔を映して確かめてみましたよ、となろうか。
 
 加藤知世子さんは加藤楸邨と恋に落ちて結婚した人である。この「千夜千句」の第百九夜に、じつは加藤知世子さんは登場している。夫加藤楸邨は怒りん坊だったという。 
 〈怒らねば我がくむ新茶すするのみ〉〈怒ることに追はれて夫に夏痩なし〉の2句は、第1句集『冬萌』の作品で、怒りん坊の夫楸邨が見事に詠まれていた。
 
 楸邨は、知世子さんと結婚するまでは怒りん坊でなかった。なぜ結婚すると怒りん坊になるのだろうか。地が出てしまうというよりは、夫たるもの威厳をもって威張っていなくてはと考えるのだろうか・・?

■秋の水

  みづすまし遊ばせ秋の水へこむ  西東三鬼 『変身』
 (みずずまし あそばせあきの みずへこむ) さいとう・さんき
 
 句意はこうであろう。小川の澄みきった秋の水をミズスマシが泳いでいる。ミズスマシの細く長い足は、四肢を踏ん張って遊ぶので、泳ぐ度に水の表面張力に凹みができるのだ。水から見れば、水を凹ませてミズスマシを遊ばせているのですよ、となるのかもしれない。
 
 西東三鬼は、「みづすまし遊ばせ」「秋の水へこむ」の2句1章の切れ方にして、1句の主語として「秋の水」を詠むという作品作りをしたのであろうか。
 戦前の新興俳句時代に〈水枕ガバリと寒い海がある〉の作品を詠んだ三鬼は、私たちには、突如現れた痛快な作家という印象がある。
 
■水の秋
  
  十棹とはあらぬ渡しや水の秋  松本たかし 『松本たかし句集』
 (とさおとは あらぬわたしや みずのあき) まつもと・たかし

 句意はこうであろう。小舟の棹をほんの10回ほど舁けば向こう岸に着く。そんな澄みきった秋の小川でしたよ、と。

 「十棹とはあらぬ渡し」と、川幅の広さが具体的に示されている。戦前か戦後間もない頃の、橋のない頃の世界であり、川向うの町に出稼ぎにゆくうら若い少女の光景が浮かぶ。
 松本たかしは、そうした些事には触れることなく、「十棹とはあらぬ」という川幅を示したことで、ひんやり澄みきった浅瀬の「水の秋」を顕したのであった。