第六百八十夜 遠藤寛子の「コスモス」の句

 私の住む守谷市と取手市の境にある利根川の橋を越えると千葉県に入る。しばらく走るとあけぼの山農業公園があり、春はチューリップ畑、秋はコスモス畑となって一面に広がっている。
 今年は10月2日から11月3日までコスモスウィークとなり、あけぼの山は、風車を背景に約1.2haの畑一面に白、黄、ピンク、赤のコスモスが咲き誇り、風車の下の方にある池の周りのコスモスが、池面に深ぶかとした色合いの花の影を落すことだろう。このあけぼの山のコスモスの見頃は10月いっぱいであるという。
 
 小貝川の土手は、例年、キバナコスモスの黄金色の道となるが、猛暑の日々も間もなく終わるので、ふらふらと俳句の吟行をしに出かけよう。今年もきっと見ることができる。
 
 コスモス(学名:cosmos)は、キク科の一年草。メキシコ原産の観賞用植物で明治の中期に渡来した。
 
 高さ2メートルに達し、一見弱々しげな花だが、丈夫でどこにでも育つ花であり、アキザクラ(秋桜)とも言われる。「秋桜」の字を当てているのは、主に秋に咲き、花弁の形が桜に似ているところからの和名である。
 
 今宵は、「コスモス」「秋桜」の俳句を紹介してみよう。

■1句目:コスモス 

  コスモスがじゃんけんしながら咲いてくる  遠藤寛子 『現代歳時記』成星出版
 (コスモスが じゃんけんしながら さいてくる) えんどう・ひろこ

 この作品は発想がじつにユニークだ。コスモスの花はじっとしていることがない。風がなくても揺れているのは、茎が長くて細いからで、花と花が互いに触れるだけで、もう揺れている。1つの花が揺れると次の花にぶつかって揺れはじめる。
 
 「じゃんけんしながら」というのは、風のなか、コスモスの花と花がぶつかっている瞬間のことであろう。茎には花があり、また、幾つもの莟があって、次々に咲いてゆくのだ。それが「じゃんけんしながら咲いてくる」なのであろうか。
 
 「咲いている」ではなく、「咲いてくる」がユニークな表現で、「咲きはじめる」と同じ意味となる。
 
 句意は、コスモスの花は、風に吹かれてじゃんけんをしている形でぶつかり合いながら、次々と咲いて、莟が花になっていくのですよ、となろうか。
 
■2句目:コスモス

  コスモスのくらくらくらと風遊ぶ  深見けん二 『星辰』
 (コスモスのくらくらくらと かぜあそぶ) ふかみ・けんじ

 止まることがないように感じられるコスモスの揺れ方は、この花特有である。深見けん二先生の作品もまた、コスモスの花の揺れそのものである。
 
 句意はこうであろう。コスモス畑では「くらくらくら」と、目眩でも起こしたように、コスモスの花がいまにも倒れるのではないかといった風情で、揺れながら風と遊んでましたよ、となろうか。

 『星辰』は第3句集。句集名は、「虚子俳話--自然は大」の中にある「仰げば空は日月星辰を蔵して無限大にひろがってくる。」から頂戴した、とある。
 掲句は、〈コスモスに一つ夕べのまぎれ蝶〉〈コスモスのくらくらくらと風遊ぶ〉〈月光に揺れコスモスの白世界〉と、3句が並んでいた。

■3句目:秋桜

  月光に風のひらめく秋ざくら  西島麦南 『新歳時記』平井照敏編
 (げっこうに かぜのひらめく あきざくら) にしじま・ばくなん

 句意はこうなろうか。月光に照らされて、一面の秋桜畑が風に吹かれて揺れている。それは閃いているようでしたよ、となろうか。
 
 上五中七の「月光に風のひらめく」が独特である。「月光のひらめく風の」ならば通常の詠み方であるが、西島麦南はそうはしなかった。「ひらめく」と「風」を倒置した。そうすることによって、「風」も「ひらめく」も、より強い印象を与えると考えたのではないだろうか。

 コスモスを秋桜(あきざくら)と呼ぶのは、外来品種であるが日本の風景に合っているからという。「秋桜」の字を当てているのは、秋に咲き、花弁の形が桜の花弁に似ているところから付けられた和名である。

 コスモス(cosmos)の語源は、ギリシャ語の「秩序」「飾り」「美しい」という意味の「Cosmos」の言葉に由来し、宇宙のことをcosmosと呼ぶように、花びらが整然と並ぶこの花もcosmosと呼ばれるようになったという。