第六十九夜 永田耕衣の「白梅」の句

  白梅や天没地没虚空没  永田耕衣  『自人』
 
 今日は1月17日。25年前の平成7年の早朝を思い出す。
 いつものように見ていたテレビは、どす黒い火災の煙が曇天を突き上げている神戸の街をヘリコプターから映していた。この事態の説明も解説もなく、エンジンの音だけの不気味な静けさの画面。大地震だと判明したのは数時間後のことで、テレビカメラの入ることの出来ない街は、一瞬にして何もかもが破壊された阿鼻叫喚の世界であったのだ。

 俳人永田耕衣を知ったのは、阪神大震災の後で、神戸在住の耕衣の震災の俳句〈白梅や天没地没虚空没〉〈共に死ねぬ生心地有り裏見の梅〉〈カンカラと缶響くなり空初音〉〈枯草の大孤独居士ここに居る〉に出逢ってからである。
 
 掲句を鑑賞してみよう。
 
 「天没地没虚空没」という見事な表現を得た耕衣は、「白梅」という季語を上五に据えた。この季語から、悲惨な現実の中にあって、尚、静かで凛とした世界があることが伝わってくる。天地鳴動しようとも、四時の運行に従って季節は常のごとく移り変わり、梅も咲き梅も散るという非情なる「美」の世界である。「白梅」の季語の力があることによって、逆に大地震の凄さを感じさせられるのである。
 震災後の日々、まだ生きている実感を「生心地(なまごこち)」と詠っているが、これは耕衣独特の造語で、居心地悪く生かされているといった感じが出ている。あの地震の起きる二秒前に耕衣はトイレに入った。直後に自宅は倒壊したが、強固な柱に守られたトイレは無事で、筆洗い用の銅製の容器で洗面台をたたいて救出されたのであった。
 
 大震災の句は、平成7年刊行の第十六句集『自人』にある。
 あとがきを見てみよう。
「ジジンと詠んで貰いたい。(略)恐らくコレもまたワガ悪癖の造語にちがいない。二字を分解すれば、ミズカラが人であり、折入っては、オノズカラ野老は人であるということ以外ではない。(略)このミズカラが人であるということが、即ちオノズカラ人であることの恐ろしさ、そして嬉しさを、原始的に、如何に言い開くか、その俳句を、遠慮表現し、茶化し、更に同化し、笑って死ねるかが問題である。」
 
 この頃から、耕衣は「衰退のエネルギー」という言葉を用いて、「老」もまた自身のエネルギー源としてしまった。否応なく近づく死を冷静に認識しつつ自娯諧謔し、死をシミュレーションしている如き詩魂である。

 永田耕衣(ながた・こうい)は、明治33(1900)年―平成9(1997)年、兵庫県加古川生まれ。17歳より作句。昭和23年に山口誓子の「天狼」に同人参加。「琴(りら)座」主宰。禅に興味を持ち、東洋的無の立場から「根源俳句論」を展開した、禅的諧謔と実存的思想の異色の俳人である。
 もう一つ、代表句を紹介しよう。
 
  夢の世に葱を作りて寂しさよ