レモンの冷たさ 梶井基次郎
いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な魂がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗(しつこ)かった憂鬱が、そんなものの一顆(いっか)で紛らされる。――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不思議なやつだろう。
その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼(だれかれ)に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故(せい)だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。 (『檸檬、ある心の風景』旺文社)
今宵は、「檸檬」「レモン」の俳句をみてみよう。
■1句目
暗がりに檸檬浮かぶは死後の景 三谷 昭
(くらがりに レモンうかぶは しごのけい) みたに・あきら
秀句三五〇選『死』の編著者・倉田紘文先生は、掲句の鑑賞として高村光太郎の「レモン哀歌」の5行目までを、それだけを載せていた。高村光太郎の最愛の妻の死の床の場面であるが、それ以上は付け加える何も必要ではなかった。
智恵子抄 レモン哀歌 高村光太郎
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
三谷昭は
■2句目
レモン囓る男よ女よ原宿族 山口青邨
(レモンかじる おとこよおんなよ はらじゅくぞく)
原宿は渋谷や六本木にも近く、コーヒーショップやレストランやブランド物の洋品店など多く、若者たちのちょっとしたお洒落なデートコースであり、お喋りしながら歩いている。そんな若者たちを原宿族と呼んでいる。
1964年、私が青山学院大学1年生であった頃、原宿族と呼ばれる若者たちがいたということは知っているが、原宿を歩いているだけでは原宿族ではなかったと思う。着ていたタイトスカートは、丈が普通より長く、花柄が多かったことを覚えている。
いわゆる原宿族と呼ばれる若者が好んだのが、美しい黄色いレモンを見せびらかすことであり、パンチの効いた酸っぱいレモンを噛じれば勢いづくことができる。それがレモンであったのかもしれない。
青邨と原宿族とはあまり接点がないように思われるが、青邨は、新しいこと珍しいことなどあらゆることに興味を注いで俳句に詠んでいた。