第六百八十九夜 草間時彦の「茨の実」の句

 今日は飯田蛇笏の忌日である。第五夜で〈をりとりてはらりとおもきすすきかな〉の句を紹介している。飯田蛇笏は、早稲田大学在学中の夏休みを高浜虚子の「俳諧散心」句会に最年少で参加。大正2年には、虚子が俳壇に復帰後の「ホトトギス」で、気迫に満ちた格調の高さが特徴の蛇笏俳句で活躍するようになった。俳誌「ホトトギス」の大正3年3月号(211号では、蛇笏は巻頭句が6句掲載されている。飯田蛇笏は、渡辺水巴、村上鬼城、前田普羅、原石鼎とともに、ホトトギス第1次黄金期の作家と呼ばれた。
 
 大地主の長男であることから地元へ呼び戻された蛇笏は、最初は選者であった「キララ」を「雲母」と改名して主宰者となる。
  たましひのたとへば秋のほたるかな
 これは、交流のあった芥川龍之介の死に際しての作品である。秋の蛍となった龍之介の魂が、青白い光を曳きながら、蛇笏の元へお別れにきているようではないだろうか。そうした気配を蛇笏はしずかに感じたのだ。
 
 没後、蛇笏賞が角川書店により設定された。俳人にとって最高峰の賞である。私の所属した俳誌「花鳥来」の主宰者・深見けん二先生は、平成26年、第8句集『菫濃く』により第48回蛇笏賞を受賞された。その晴れがましさを、会員共々が分かち合うことができたことが素敵なことであった。
 
 今宵は、「茨の実」の作品をみてみよう。

■1句目

  文学少女が老いし吾が妻茨の実  草間時彦 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (ぶんがくしょうじょが おいしわがつま いばらのみ) くさま・としひこ

 句意はこうであろう。文学少女がそのまま老年になったのが吾が妻なのですよ、ちょうど野茨の美しい花が枯れて真っ赤な茨の実となるように、妻は今も、文学少女特有のロマンと豊かな心を持った、素晴らしい女性なのですよ、となろうか。

 草間時彦(大正9-平成15年)は、神奈川県出身。水原秋桜子の「馬酔木」、石田波郷の「鶴」に師事。昭和50年、俳人協会常務理事、翌昭和51年には「鶴」辞して無所属になる。昭和53年、俳人協会理事長。平成11年、句集『盆点前』により第14回詩歌文学館賞、2002年、句集『瀧の音』により第37回蛇笏賞受賞。2003年5月26日、腎不全により鎌倉の病院にて死去。
平成14年、句集『瀧の音』により第37回蛇笏賞受賞。

 奥様は、草間時彦の活躍を共に喜んでいらしたのではなかろうか。〈冬薔薇や賞与劣りし一詩人〉〈甚平や一誌持たねば仰がれず〉と詠んだサラリーマン時代と結社誌を持つことのなかった時代も、〈さうめんや妻は歌舞伎へ行きて留守〉〈秋鯖や上司罵るために酔ふ〉〈大粒の雨が来さうよ鱧の皮〉など食い道楽の夫を支えた家事全般も、楽しんでいたように感じられる。
 
 もう30年ほど前、俳人協会の事務室を訪れると、大きな部屋に机が並べてあり、時には、当時理事長であったかもしれない草間時彦氏が、気安く「どんなご用件でしょう」と、声をかけて下さる方であった。俳人協会の事務室には、有名な俳人の方々ばかりが仕事をしていた。

■2句目

  野茨の実のくれなゐに月日去る  飯田龍太 
 (のいばらの みのくれないに つきひさる) いいだ・りゅうた

 句意はこうであろう。野茨の実が「くれなゐ」色になるまでの月日とは、5、6月の頃に匂いのよい白い野茨の花が開いて、花が枯れると実を結ぶ。実は秋になると熟して赤く熟して、光沢があって美しい。このように実となるまでには半年ほどの月日が経ってゆくのですよ、となろうか。
 
 下五は、「月日かな」ではなく「月日去る」であった。半年の月日が去って、今「実のくれなゐ」を見せてくれているのだ。

 飯田龍太は、飯田蛇笏の4男である。