第六百九十一夜 水原秋桜子の「啄木鳥」の句

    秋と散歩       萩原朔太郎
   
 前に私は「散歩」という字を使っているが、私の場合のは少しこの言葉に適合しない。いわんや近頃流行のハイキングなんかという、颯爽たる風情の歩き様をするのではない。多くの場合、私は行く先の目的もなく方角もなく、失神者のようにうろうろと歩き廻っているのである。そこで「漫歩」という語がいちばん適切しているのだけれども、私の場合は瞑想に耽り続けているのであるから、かりに言葉があったら「瞑歩」という字を使いたいと思うのである。 (『猫町 他十七篇』岩波文庫)
   
 今宵は、散歩の途次に出合うことのある「啄木鳥」の作品をを紹介しよう。

■1句目

  啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々  水原秋桜子 『葛飾』
 (きつつきや おちばをいそぐ まきのきぎ) みずはら・しゅうおうし

 句意はこうであろう。水原秋桜子の作品で1番最初に覚えた句である。啄木鳥が木を叩く音が響きわたると、その音に合わせるかのように、牧場の木々は落葉を降らせはじめましたよ、となろうか。
 
 啄木鳥は、きつつき、けらつつき、けら、とも呼ぶ。キツツキは幹に止まりやすい鋭い鉤爪がある。長い尾で体を支え、鋭く尖ったくちばしで幹を叩き、穴をあけ、中の虫を舌の先端にある鈎で引き出して食べる。木を叩く音が秋の鎮まった山中にこだまして響きわたる。

 秋桜子が、大正15年に赤城山へ登った折の作品で、山の牧場の冬近い頃の景色のどこからか啄木鳥がこつこつ木を叩いている音が聞こえてくる景である。「ホトトギス」には、昭和2年10月号に掲載された。
 「啄木鳥」「落葉をいそぐ」「牧の木々」と、じつに心地よい調べとなっている。『現代俳句下』の中で著者・川名大は、この調べを「音と落葉との詩的交感(コレスポンダンス)」と言った。納得である。

■2句目

  山雲にかへす谺やけらつゝき  飯田蛇笏 『飯田蛇笏全句集』
 (やまぐもに かえすこだまや けらつつき) いいだ・だこつ
 
 句意はこうであろう。谺とは山や谷などで起こる音の反響のことである。古くからその音は、木の精の仕業であると考えられていた。そう考えた時、けらつつきの幹を叩く音は、反響して谺となって、山や雲へ返してあげているのですよ、となろうか。

 飯田蛇笏は、山梨県笛吹市の大地主である。富士山や南アルプスを遥かにした自然の豊かな大地である。この甲斐の山国に住んで作品を詠んでいること自体が蛇笏である。

■3句目

  木つつきの死ねとて敲く柱かな  小林一茶 『一茶句集』
 (きつつきに しねとてたたく はしらかな) こばやし・いっさ

 句意はこうであろう。木つつきが幹を敲きつづけている。その音が、一茶には「死ねよ」「死ねよ」と言っているように聞こえましたよ、となろうか。
 
 様々な音があるが、聞いている者にとって、その時の気持によって、聞こえ方が違ってくるように思う。たとえば嬉しい時にはおそらく聞いている人に明るく嬉しく響いてくるのだろうし、たとえば心が落ち込んでどん底にいるような時には、「ばかばか!」とか「もう死んでしまえよ!」と聞こえるかもしれない。
 
 同じ音でも、聞いている人の心持ちによって、音色というものは変わってくる。