第六百九十二夜 長谷川登美の「ステッキ」の句

   ステッキと文士       永井龍男
   
 銀座について、あれこれ考えているうちに、私は妙なものをふと思い出した。
 おそらく、遠い戦前に姿を消してしまったであろう、ステッキのことである。
 それも明治大正の官員さんや田紳のひけらかした持ち物ではなく、二、三十年前の小説家たちが銀座を散歩する時は、ステッキを必ずと云ってもよいほど愛用していたという記憶である。
 それも、四十五十の年輩ではない。二十代で売り出し、三十代で中堅とか大家と云われるのが、文壇の大勢だった当時のことで、文壇的には「新感覚派」運動の頃に当たると思うが、それはとにかく、ステッキなぞという無用の長物が影をひそめた今日、あの若さでと思うと、はなはだ奇妙な気がする。
 それからそれと、私は彼らの風貌姿勢を思い出すのだが、たとえば、才気あふれる短編小説を次々に書いた当時の佐々木茂索氏のスラリとした和服姿とか、ソフトの両側から長髪をはみ出させた、新感覚派の頭領横光利一氏といったように。
 午後から銀座へ出れば、こういう人々の誰かに、必ず行き逢うことが出来た。(『永井龍男全集 第10巻』講談社より)

 今宵は、杖とステッキの俳句を紹介してみよう。
 
 杖には「歩行の安定化」「足腰の負担軽減」「転倒予防」「疲労抑制効果」などの効用があり、怪我をされた後のリハビリにも使われる。
 一方、ステッキというと、持ち手に装飾が施されていてお洒落な感じがする。

■1句目・ステッキ

  落葉道亡夫のステッキつき歩く  長谷川登美 俳誌「ぐろっけ」
 (おちばみち ぼうふのすてっき つきあるく) はせがわ・とみ

 句意はこうであろう。秋になり落葉のふかふかした道を、亡き夫のステッキをついて歩いている。夫が元気な頃には2人で歩いた道。夫は洒落たステッキをついていた。今日は、夫と一緒に歩いている気持ちでステッキをついているのですよ、となろうか。【落葉・秋】
  
 「ステッキ」は、持ち手の部分に装飾を施すことができるものであるという。  
 「杖」は、木をそのまま曲げて作られているものをいう。

■2句目・杖

  秋晴れの何処かに杖を忘れけり  松本たかし 『松本たかし句集』
 (あきばれの どこかにつえを わすれけり) まつもと・たかし 

 句意はこうであろう。たかしの父は能役者の松本長(まつもと・ながし)。身体が弱かったたかしは、高浜虚子の元で俳人となった。広い庭の屋敷に住んでいたので、「何処かに杖を忘れけり」は、屋敷内かもしれないが、虚子一行との吟行かもしれない。秋晴れの中を夢中になって句を詠みながら歩きまわっていた。気がつくと、持っていた筈の杖がない。何処かに忘れてきてしまったようですよ、となろうか。 【秋晴・秋】
 
 杖を忘れてしまうほどの美しい秋晴れ、そして、いつの間にか夢中になって句を詠んでいるたかしの姿が見えてくる作品である。

■3句目・遍路杖

  鈴の鳴る杖を力に夏遍路  鷹羽狩行 「狩」
 (すずのなる つえをちからに なつへんろ) たかは・しゅぎょう 

 句意はこうであろう。お遍路さんの持つ金剛杖には鈴が付けられている。鈴の音色は不魔の役割をし、歩き遍路のお遍路さんにおいては山道などで、自身の存在をまわりに知らせる大事な役目もある。鈴の音はお遍路さんの代名詞であり、杖はお大師さまそのものであり、道中の精神的な支柱となるものなのですよ、となろうか。【夏遍路・夏】
 
 四国お遍路で言われる「同行二人」という言葉は、「常にお大師様と一緒にいる」という意味があり、金剛杖が「お大師様の化身」といわれている。四角または八角の白木の杖で、長さは等身大という。

 ステッキ、杖、遍路杖の3つの作品を紹介した。銀座には、今も杖と言わず、ステッキをついて帽子をかぶったロマンスグレーの老紳士が闊歩しているであろうか。
 
 現在、私も外出するときには杖をついている。犬の散歩では、また転んだら怖いからである。杖があると安心ではあるが、杖依存症のまま後期高齢者に突入してしまった。もはや、杖なしの白髪の老婦人にはなれないだろうな。