第六百九十六夜 平畑静塔の「藁塚」の句

   森の中に入る         江崎玲於奈

 アレキサンダー・グラハム・ベルは有名な電話機の発明者です。この人の名を冠したベル研究所の表玄関に
ロビーに胸像があり、そこに次のような彼の言葉が刻まれていました。
 「時には踏みならされた道から離れ、森の中に入ってみなさい。そこではきっとあなたがこれまで見たことがない新しいものを見出すに違いありません。(Leave the beaten track occasionarlly and dive the woods. You will be certain to find something that you have never seen before.)」
 科学の世界で、新しいものを見出すためには「ダイブ・イントウ・ザ・ウッズ」(森の中に入ること)をなさねばなりません。その意味では、いわば常道から外れることが許されるのがアメリカ社会で、多くの発明、発見がなされるのは、だれもが自由に「森の中に入る」ことが許される社会だからかもしれません。 ※江崎玲於奈は物理学者。1973年、ノーベル物理学賞受賞。
 
 今宵は、「藁堆(わらにお)」の作品を紹介しよう。
 
■1句目 藁塚(わらづか)、藁堆(わらにお)

  藁塚に一つの強き棒挿さる  平畑静塔  『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (わらづかに ひとつのつよき ぼうささる) ひらはた・せいとう

 句意はこうであろうか。藁塚はいろいろな積み方があるが、刈り稲を円錐形に高く積み上げたもののことである。ここの藁塚は円錐形に積み上げた真ん中に竹の棒をガッシと突き刺して動かないようにしてありましたよ、となろうか。
 
 関東平野の南端の茨城県守谷市から北上すると田が広がっていて、ちょうど今頃は藁塚の景が至るところに見ることが出来る。常総市辺りで見た鬼怒川べりの田んぼは、確か円錐形で、棒が挿してあった。

■2句目 にほ

  農夫婦かつての恋の藁塚を組む  千賀静子  『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (のうふうふ かつてのこいの におをくむ

 句意はこうであろう。今も昔も、稲刈りが済むと、同じように藁を積み上げて藁塚(にお)を夫婦で力を合わせて組み上げているが、若い頃、夫婦になる前の恋をしている時も力を合わせて藁塚を組んでいましたよ、となろうか。

 「にお」とは、藁塚とも堆とも表記される。「堆」は、うずたかい、という意味で、物が積み重なって高くなっている様をいう。