第六百九十七夜 後藤比奈夫の「時鳥草(ほととぎす)」の句

 昨日からわが家では、大きなガラスの器に杜鵑草(ホトトギス)が活けてある。夫の畑の周りには秋の花として、コスモスや小菊が植えられているが、このホトトギスは自生する花だという。代わる代わる畑仕事の帰りに摘んできてくれる。どれも地味な花だが、どこか心が落ち着く花である。
 
 杜鵑草はユリ科の多年草で、丈は30~40センチほど。花の内側に紅紫色の斑点がある。杜鵑草の名は、この斑点が時鳥の胸の赤い斑点に似ていることから付けられたもので、花の名を、時鳥草と付けたという。ほととぎす、ほととぎすそう、と呼ぶ。「杜鵑草」「時鳥草」「油点草」とも表記する。

 また正岡子規の名の「子規(しき)」は「鳴いて血を吐く時鳥」に由来したものである。子規の1回目の喀血は、明治22年水戸紀行の後で、この子規の号を用いるのはこのとき以降である。
 
 今宵は、「杜鵑草」の作品を見てみよう。

■1句目

  殉教の土の暗さに時鳥草  後藤比奈夫 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (ほととぎす つちのくらさに ほととぎす) ごとう・ひなお

 殉教とは自分の信じている宗教のために自分の命を捨てることを言うのであるが、日本では、戦国時代の末期の1549年に南蛮貿易とともにオランダからキリスト教が入ってきた。当初は大名たちに受け入れられていたが、江戸時代になると鎖国が始まった。九州地方を中心に増えていた信者たちは、隠れキリシタンとなって、島民に混じり、山奥に小さな教会を建てて信仰の灯を絶やすまいとしていた。
 夫は長崎出身。ある年帰郷した私たちは、長崎の友人に連れられて隠れキリシタンの隠れ家と教会へ1日がかりのドライブをした。山の奥に小さな赤い教会があった。別の山中には、2畳ほどの小屋があった。中に入ることはできなかったが、窓から覗くことができた。キリスト教関係の書が部屋中に積まれていた。
 奥深い山中で、友人の車もやっと通れるほどの細道であった。
 
 句意はこうであろうか。人里を離れ、山中の隠れ家の殉教の地は、まさに薄暗く、そうした地に時鳥草がひっそりと咲いている。暗い色合いの、時鳥草の小花が咲いていましたよ、となろうか。
 
■2句目

  はなびらに血の斑ちらしてほととぎす  沢木欣一 『現代歳時記』星成出版
 (はなびらに ちのふちらして ほととぎす) さわき・きんいち

 句意は、ほととぎすの花は、はなびらは真っ赤な血を流しているかのようでしたよ、となろうか。

 この作品は、ひらがな書きの1句の中で、「血の斑」だけがズームアップしてくる。沢木欣一氏がほととぎすの花びらをじっと眺めていると、真っ先に飛び込んできたのが、血痕のような紅紫色の斑点であった。
 作者には、花びら自身が血を流し、赤い血痕を散らしているかのように見えたにちがいない。