第七百六夜 中村汀女の「木の実」の句

  秋の瞳       八木重吉
 
    序
 私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。
 
    劔を持つ者
    
  つるぎを 持つものがある
  とつぜん、わたしは わたしのまわりに
  そのものを するどく 感ずる
  つるぎは しづかであり
  つるぎを もつ人は しづかである
  すべて ほのほのごとく しづかである
  やるか
  なんどき 斬りこんでくるかわからぬのだ
                     『八木重吉全集』筑摩書房
   
 今宵は、「木の実」の作品を紹介してみよう。
   
■1句目

  袂より木の実かなしきときも出づ  中村汀女 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (たもとより きのみかなしき ときもいず) なかむら・ていじょ

 着物の袂や服のポケットに手をつっこんだ時、楽しい気分の時に木の実が転がり出るのは、見ている人にとっても楽しい気分になる。でもそうでない場合もある。悲しいことを伝えている時や大事なことを伝えている最中に、ポケットから木の実が出てくるのはちょっとマズイという場合もある、ということであろうか。

 袂に木の実を入れた時は、幼い子と遊んで木の実拾いをしていた時かもしれない。夕方に家に戻ると、悲しい知らせが待っていた。悲報を伝えてくれたのは舅や姑であったとしたら、自分の父や母の死であったとしたら・・。その時、ポロッと木の実がこぼれたのだ。

■2句目

  妻の手に木の実のいのちあたたまる  秋元不死男 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (つまのてに きのみのいのち あたたまる) あきもと・ふじお

 小さな子どもが木の実拾いからかえってきた時、「ママー! ボクがひろったんだよ!」と、手渡してくれた木の実のあったかかったこと! 子育てのなかで、いっぱい経験したことであるが、その母の喜びは若いお母さんは気づかない。ずっと後になって、娘と孫のやりとりの中で思いだすのではないだろうか。
 
 意外なのは「妻の手に」であったことだ。木の実を拾って、ぎゅうっと握りしめていたのは妻であって、その妻の仕草を黙って見ている夫は秋元不死男であった。木の実は吾が子に与えるつもりかもしれないが、不死男がわかったことは、妻の手の中で、木の実があたたまりつつあることだ。
 それが、「木の実のいのちあたたまる」ということであった。
 
 秋元不死男は、昭和6年、水原秋桜子が「ホトトギス」離脱し、反ホトトギス、反伝統を旗印として起こったのが新興俳句運動であった。不死男たちは、もっと、心(主観)を詠みたかったという。

■3句目

  木の実落ち幽かに沼の笑ひけり  大串 章 『現代歳時記』成星出版
 (きのみおち かすかにぬまの わらいけり)

 木の実がひとつ沼にぽとんと落ちた。静かだった沼面がほんの少し飛沫を上げて、小さく凹んだ。その様子は、沼に笑窪ができたようであった。
 
 笑窪は凹んだ沼の形の客観的な描写であるが、「幽かに笑ひけり」と詠んだことで、沼という水の塊の笑いとなり、少々不気味な気配も感じさせる主観の描写となった。