第七百七夜 稲畑汀子の「鶴」の句

   夕鶴         木下順二
 
 つ う あれほど頼んでおいたのに・・あれほど固く約束しておいたのに・・あんたはどうして・・
     どうして見てしまったの?・・
 与ひょう 何だ? 何で泣くだ?
 つ う あたしはいつまでもいつまでも、あんたといっしょにいたかったのよ・・その2枚のうち1枚だけは、あんた、大切に取っておいてね。そのつもりで、心を込めて織ったんだから。
 与ひょう (子供のように)うん、大事に大事に持ってるだ。つうのいうことなら、おら、何でも聞く。だけに、なあ、つうよ、いっしょに都さ行こう。
 津う ううん、あたしは・・(笑って、立つ)――すっと白くなる)こんなに痩せてしまったわ。・・使えるだけの羽をみんな使ってしまったの。あとはようよう飛べるだけ・・(笑う) (『夕鶴』木下順二)

 今宵は、「鶴」の作品を紹介しよう。
 
■1句目

  空といふ自由鶴舞ひ止まざるは  稲畑汀子 『汀子第二句集』
(そらという じゆうつるまい やまざるは) いなはた・ていこ

 第百四十八夜で、紹介させて頂いているが、今回のテーマは「鶴」の作品なので、外すことはできないし、大好きな作品である。
 
 この作品は、夫稲畑順三が亡くなった時の句である。直後であったと思うが、汀子は鹿児島県出水市を訪れた。鶴の群舞をずっと眺めながら「空を飛んでいる鶴のような自由な心を持とうと思った」ということを、暫く経ってから話している。
 夫の死の直前には父の高浜年尾が亡くなり、汀子氏はひどく落ち込んでいた。父が亡くなったときに詠んだ作品は〈長き夜の苦しみを解き給ひしや〉である。大結社である「ホトトギス」を主宰してゆかねばならない汀子氏にとって、この2つの作品が、俳人としてのターニングポイントとなったのであった。

■2句目

  夕映えの雲より生れし鶴の棹  今井つる女 『俳句歳時記』角川書店編
 (ゆうばえの くもよりあれし つるのむれ) いまい・つるじょ

 西空の夕映えに輝く雲の中から、まるで生まれ出たかのように、鶴の群れが、棹を組んで現れた、という句意になろうか。今井つる女さんは、何という美しい光景に出合ったのであろうか。

 今井つる女は、明治30年、愛媛県松山市生まれ。父は高浜虚子の兄池内政夫で、つる女は虚子の姪にあたる。娘の今井千鶴子も「ホトトギス」の俳人。
 
 鶴が日本に渡ってくるのは10月中旬ごろで、快晴の日、北方から飛んでくる。ナベヅルやマナヅルが主でナベヅルは、飛来地が限定されていて、北海道釧路湿原、本州では山口県周南市や鹿児島県出水市などに飛来する。
 首が白く、全長はおよそ90センチほどで、黒っぽい灰色である。

 首の白いナベヅルが夕映えの中で、輝いていたのであろう。