第七百八夜 加藤楸邨の「渡り鳥」の句

  酒友酒癖     今 日出海

 カラみカラまれるのが文学修行、人生修業と心得たわけではないが、寄ると触るとカラんだものである。これを「揉む」と称して、「あいつを少し揉んでやろうじゃないか」と衆議一決したら、揉まれる奴は大抵くしゃくしゃになったものである。
 出雲橋際の「はせ川」にはよく寄り集まり、無遠慮にカラみ合った。死んだ横光さんもこのもの凄いカラみ合いを見物に来られ、
 「揉んどるんですか」と呆れて片隅に腰かけていたものだ。
 今ではお陰で、人さまから悪口を浴びても痛痒を覚えぬまでにタフになった。カラみ上戸も若い時分は面白かった。真剣勝負のような殺気が籠もって、うっかり酔ってはいられなかった。それからみれば皆んなおとなしくなったものだ。
 カラまれて口惜しくて、何か敵の隙はないものかと、虎視眈々としている時の気持ちはちょっと緊張していいものだ。あれでカラまれっ放しだったら、口惜し涙にかきくれたかもしれない。 (『日本の名随筆11 酒』より)
 
 今宵は、「渡り鳥」「小鳥来る」の作品をみてみよう。
 
■1句目

  渡り鳥がうがうと鳥明るくて  加藤楸邨 『加藤楸邨句集』
 (わたりどり ごうごうととり あかるくて) かとう・しゅうそん

 句意はこのようであろう。渡り鳥が棹をつくりながら大空を飛んでいる。静かに飛んでいるのではなくて、鳥たちそれぞれが鳴いているのだ、これから楽しい渡りの旅の始まりをみんなで伝え合っているところだ。
 
 戦時中に悩み抜き、楸邨が芭蕉研究をしてゆく中で、楸邨が漸く行きついたのが「真実感合」という理念であったという。「自己の真実と対象の真実とが一体化する境を、自己の俳句発想の基盤としたい」という、この真実感合の理念は、楸邨の「ひとりごころ」と「まこと」へ収斂してゆく。
 「こころ」と「こと」と「ことば」とが不可分に密接になる三位一体の状態を、楸邨は俳句の「まこと」とした。
 掲句では、「がうがうと鳥明るくて」と詠んだ「こと」「ことば」と「渡り鳥」という季語とが、不思議に解け合っている。この時の楸邨の「こころ」の明るさが見事に表現された作品だと思った。。

■2句目

  鳥渡るかつて踏絵の島の上  朝倉和江 『朝倉和江句集』
 (とりわたる かつてふみえの しまのうえ) あさくら・かずえ

 朝倉和江は、昭和9年大阪生まれ。著者略歴には長崎の被爆者とある。詳しい略歴を調べることは出来なかったが、長崎に住んでいたのであろう。馬酔木同人。「曙」主宰。
 
 「かつて踏絵の島の上」は、多くの隠れキリシタンの住んでいた長崎半島から遠望できる五島列島にちがいない。
 今から50年ほど前に、私は、長崎市に4年住んでいたことがある。長崎半島の突端の野母岬半島の丘の上から晴れた日には、五島列島が見えた。
 
 句意は、渡り鳥が群れをなして五島列島の上を飛んでいる。ここは、江戸時代に隠れキリシタンが多くいた島である。本土から役人がやって来て、隠れキリシタンであるか否か、キリストやマリアの像の絵の上を足で踏まされるという踏絵のあった島でしたよ、となろうか。
 
 鳥たちは自由だ。重苦しい時代があったことも知らず、南から北上する渡り鳥や北から南方へ向かう渡り鳥たちの空の道が、たまたま、この五島列島を見下ろす空である。