第七百九夜 高浜虚子の「秋深み」の句

 そろそろ今年の紅葉狩の計画を立てようと思いはじめている。平成30年の秋に玄関先で転倒して大腿骨骨折で2ヶ月入院した。その後、コロナ禍となった。始終つくば山辺りをドライブしていたが、この3年は思うように動いていなかった。
 
 今年こそは、高木のユリノキの並木道がつづく408号線の学園西大通りを走り抜けたい。ある年の11月半ば、紅葉のユリノキ並木道を通った時に余りに感動して、確か、7キロほどの並木道を折り返してもう一度通ったことがあった。最初に出合ってから、同じ紅葉に会いたいと試みるが、年々の天候に左右され、半日のドライブは仕事もしている身には、簡単には出合うことができない。
 
 つくば市は、学園都市で、広大な研究施設もあって、そのために計画的な街づくりがされたと聞いている。美しい街である。久しぶりに、杖をついて筑波実験植物園にも洞峰公園にも行ってこよう。
 
 今宵は、「秋深し」の作品を見てみよう。

■1句目

  彼一語我一語秋深みかも  高浜虚子 『ホトトギス 新歳時記』
 (かれいちご われいちご あきふかみかも) たかはま・きょし

 鎌倉、鶴岡八幡宮の白旗神社で行われる文墨祭は、『金槐和歌集』を編纂し、歌人として知られた源実朝の遺徳を偲ぶもので、昭和19年より10月28日に行われている。虚子は、昭和25年、招かれて出席されたのであろう。星野立子編『虚子一日一句』には次のように書かれていた。
 「鎌倉、鶴岡八幡宮に毎年実朝にあやかつて文墨祭といふ行事がある。斯うした会に出席することは父には珍しいことであつた。文墨祭は今日もなほ続いて催されてゐる。」と。
 
 句意はこうであろう。男二人の会話は、顔を合わせた時の「今年も祭の季節になりましたね」「本当ですね」ほどの互いの一言だ。一言であるからこそ、ふっと秋の深まりを感じたにちがいない。
 
 昭和25年、虚子76歳の作。虚子はもともと寡黙であるが、「彼一語」「我一語」という短い対話だけで、他は一切略されたことで、互いに見知った男二人の会話であることが伝わり、静かさと秋の深まりが伝わってくる。

 かも 助詞「か」に詠嘆の助詞「も」が付いたもので、詠嘆を含んだ疑問(あるいは疑問を含んだ詠嘆)をあらわす。「~だろうか」「~なのかなあ」であろう。

■2句目

  秋深き影藤棚の下広く  高浜年尾 『ホトトギス 新歳時記』
 (あきふかき かげふじだなの したひろく) たかはま・としお

 どこの藤棚であろう、どれほど長い藤の花であろうか。藤の花が満開の頃には藤棚の下は目がゆかないが、藤の花が咲き終えると、広々とした空間が目に入る。また季語「秋深き」から、日々の太陽の位置が低くなり、それに伴って影が長くなっていることも伝わってくる。

 年尾氏の、下五の「下広く」に、父虚子の客観描写を思った。

 藤の花の季節でない時も、通りがかりに藤棚を見ることはある。だが、俳人たるもの、どの花も、花の一生を知っておくべきであり、あらゆる姿を見ておくべきであると、最近になってつくづく思うようになった。