第七百十夜 中村草田男の「林檎受く」の句

    木の葉のあてっこ           幸田 文
 
 父はまた、木の葉のあてっこをさせた。木の葉をとってきて、あてさせるのである。その葉がどの木のものか、はっきりおぼえさせるためだろう。姉はそれが得意だった。枯れ葉になって干からびていても、虫が巣にして筒のように巻きあげているのも、羽状複葉の一枚をとってきたのでも、難なく当ててしまう。まだ葉にひらいていない、かがまった芽でさえ、ぴたりとあてた。私もいくつかは当てることができるのだが、干からびたなどだされると、つかえてしまう。そこを横から姉が、さっと答えて、父をよろこばす。私はいい気持ちではなかった。姉のその高慢ちきがにくらしく、口惜しかった。しかし、どうやっても私はかなわなかった。そんなにくやしがるなら、自分もしっかり覚えればいいものを、そこが性格だろうか、どこか締まりがゆるいとみえて、不確かにずっこけた。ここが出来のいい子と出来のわるい子との、別れ道だった。(『木』新潮文庫) ※父は幸田露伴

 今宵は、「林檎」の作品をみてみよう。
  
■1句目

  空は太初の青さ妻より林檎受く  中村草田男  第4句集『来し方行方』
 (そらはたいしょの あおさつまより りんごうく) なかむら・くさたお

 句意はこうであろう。外の空は太古の昔と変わらぬ青空が広がっている。手には妻が剥いてくれた林檎がある。
 
 草田男は、33歳で大学を卒業。昭和10年にお見合いを10回ほどした後に、運命の人福田直子に出合い結婚した。結婚してから生涯の恋愛をはじめたような2人で、36歳の草田男は、少年のように、瑞々しいアダムとイブのように手放しで妻に恋をしている。
 妻とは、〈妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る〉〈妻二タ夜あらず二タ夜の天の川〉の妻であり、草田男の妻俳句の頂点をなす作品である。
 妻直子は将来の活躍を期待されたほどのピアニストであったが、結婚によってその夢を断念。近所の子どもたちに教え、家族のために弾く直子のピアノは、それはバイタリティ溢れるものだったという。

 掲句は、句集『来し方行方』集中の、敗戦の翌年の昭和21年の作である。戦時中に家を失い、草田男は学校の寮の一室に家族と共に生活していた。その板の間の真ん中にはピアニストを目指していた妻直子のグランドピアノがどんと置かれていた。直子は夫草田男のために林檎を剥いてあげている。
 
 「太初」と詠まれると、2人は旧約聖書時代のアダムとイブに戻ったように思えてくる。とすると、この林檎はあの禁断の林檎ということになろうか。
 この句は、草田男作品の中でも人気がある。太古の清らかさと純粋さと、季語「林檎」の赤と爽やかな味とのマッチングが私も大好きである。

■2句目

  林檎煮る雪国遠く来し林檎  三好潤子 『曼珠沙華 : 三好潤子全句集』ふらんす堂
 (りんごにる ゆきぐにとおく きしきんご) みよし・じゅんこ

 句意はこうであろう。遠く離れた雪国に住む友から林檎が箱入りで送られてきた。わあ、嬉しい! そうだ、シナモンを入れて香りよく林檎を煮て、アップルパイを久しぶりに作ってみようか、となるかもしれない。
 
 林檎を煮る時に、砂糖、シナモン、レモンを入れる。そのまま、トーストに挟んだり、焼き立てのパンに挟んでも美味しい。
 筆者のあらきみほは、俳句にのめり込む前は、お菓子作りとパン作りに夢中になっていた。お菓子は、1ホールに仕上がるし、パンも焼きたてが美味しい。味見を兼ねて、しょっちゅう口に放り込んでいたら、太り始めた。

 三好潤子は昭和元年、大阪市の生まれ。榎本冬一郎の俳誌「群蜂」同人、後には山口誓子の「天狼」同人となる。