第七百十一夜 安住敦の「燕帰る」の句

   燕と王子 オスカー・ワイルド

 そうこうするうちに気候はだんだんと寒くなってきました。青銅の王子の肩ではなかなかしのぎがたいほどになりました。しかし王子は継ぎの日も次の日も今まで長い間見て知っている貧しい正直な人や苦しんでいるえらい人やに自分のからだの金を送りますので、燕はなかなか南に帰るひまがありません。(略)そのうちに王子のからだの金はだんだんすくなくなってかわいそうにこの間までまばゆいほどに美しかったおすがたが見る影もないものになってしまいました。ある日の夕方王子は静かに燕をかえり見て、
 「燕、おまえは親切でよくこの寒いのもいとわず働いてくれたが、私にはもう人にやるものがなくなってしまってこんなみにくいからだになったからさぞおまえも私といっしょにいるのがいやになったろう。もうお帰り、寒くなったし、ナイル川には美しい夏がおまえを待っているから。(略)」とおっしゃいました。 
   (『一房の葡萄』「燕と王子」有島武郎訳 角川文庫)
 
 今宵は、「秋燕」「燕帰る」の作品をみてみよう。

■1句目

  ある晴れた日につばくらめかへりけり  安住 敦 『俳句歳時記』角川書店編
 (あるはれたひに つばくらめ かえりけり) あずみ・あつし

 10月頃であった。晴れた日には、黒ラブ1代目のオペラを連れて利根川の土手をよく散歩していた。静かな犬なので、こちらがじっと佇んでいると、オペラも土手の景色を楽しんでいるようであった。
 
 その時、後方から飛んできた1羽のツバメが、頭上を過るように利根川を越えて南へ向かって飛んでいった。俳句を始めて20年近くなっていた私は、「燕帰る」姿であると思った。
 調べてみると、あちらこちらに住んで巣を作り、雛たちもとうに巣立っていた頃であった。ツバメは、春に南方から日本に渡ってきて、夏を過ごした後には、南方のフィリピンなどの東南アジアの国へ帰ってゆくそうである。
 
 掲句は、きっとこのような光景であったにちがいない。

■2句目

  高浪にかくるる秋のつばめかな  飯田蛇笏 『俳句歳時記』角川書店編
 (たかなみに かくるるあきの つばめかな) いいだ・だこつ

 渡り鳥たちは、時には休みが必要である。海の上を低く飛んでいるときは、休憩できそうな岩場とか、木切れを探しているのであろうが、高浪を浴びてしまうこともある。
 掲句は、このように高浪が来た1瞬のことであろうが、小さなツバメは、高浪に隠れてしまったというのだ。

■3句目

  頂上や淋しき天と秋燕と  鈴木花蓑 『鈴木花蓑句集』
 (ちょうじょうや さみしきてんと しゅうえんと) すずき・はなみの

 秋の山の頂上に着いた。見上げた空は青々と澄みきっていて、淋しさを感じさせるような天があり、そこに秋燕が舞っていましたよ、という句意となろうか。
 
 鈴木花蓑といえば、大正11年作の、〈大いなる春日の翼垂れてあり〉の句が浮かぶ。春日の夕茜の広がりを「春日の翼垂れてあり」として、赤い翼が西空に垂れているのだと言い切った。
 「ホトトギス」では、師の高浜虚子が提唱した客観写生を忠実に実践した人で、これぞという対象に出合うと、長いこと動かずに凝視していたという。花蓑の句の素晴らしさは、写生に加えた詩情である。