第七百十二夜 川端茅舎の「銀杏黄葉」の句

   俳句らしき格調に誇りを持て        高浜虚子著『虚子俳話』

 俳句は極端に文字を省略する。その省略に妙味がある。そのために切字も必要になって来る。俳句らしき調べも自然に極まつてくる。歌に調べがある如く、俳句にも調べがある。俳句独特の調べがある。近来この調べを無視して窮屈で難解な言葉遣ひをするものがある。
 俳句には俳句の格調といふものがある。俳句も亦た諷詠の詩である。俳句らしき格調を守らねばならぬ。必ずしも「や」「かな」を尊重しろといふのではない。「俳句らしき格調に誇りを持て」といふのである。自ら卑うして他の詩に隷属する事は戒むべきである。
     近詠三句       虚子
  大桜これにかしづき大椿
  春風に吹き飛ばされて老一人
  摘草の彼の一むれをよしと見る
          (30・4・24) 
 ※昭和20年、朝日新聞東京版の俳句欄の選を始めた虚子は、その後、昭和30年4月から、募集句に評を加へ、小俳話をも合せ載せることになった。その俳話を集めたものが、『虚子俳話』である。

 今宵は、「銀杏黄葉」「銀杏散る」の作品を見てみよう。

■1句目

  大銀杏黃は目もあやに月の空 川端茅舎  『川端茅舎句集』
 (おおいちょう きはめもあやに つきのそら) かわばた・ぼうしゃ

 句意はこうであろう。銀杏黄葉の大樹が、月光の照らす夜空に高く聳えている。黄葉の大樹は月の光りと呼応して、まさに、眩しくて直視できないほどの美しさであった、となろうか。
 
 中七の「大銀杏黃は目もあやに」の調べの見事さに先ず惹かれる。「大銀杏」「黃は」は、大銀杏黄葉のことである。「黄は目もあやに」も「大銀杏黄葉」のことである。「黄」を基点とした、技のある詠み方ではないだろうか。

■2句目

  画展よりつゞく光りの銀杏の黃  渡辺桂子 『新歳時記』平井照敏編
 (がてんより つづくひかりの いちょうのき) わたなべ・けいこ

 秋の上野の森が浮かんだ。広い上野公園の周りには、年に何回か大きな画展が催される国立博物館、国立西洋美術館、上野の森美術館、東京都美術館がある。東京芸術大学や東京芸術大学美術館がある。芸術の森である。
 
 渡辺桂子氏は、どの美術館を訪れたのであろう。上野公園内の銀杏大樹は、秋晴れの中で真っ黄色の光りを放っていた。きっと画展では、ゴッホとかモネとか、大きな画展の最中で、作品の光りに圧倒されて、光りまみれの桂子さんは、さらに、美術館を出ると、銀杏黄葉の光りの只中へ入ったのであった。

■3句目

  銀杏散るまつただ中に法科あり  山口青邨 『露團々』昭和16年作
 (いちょうちる まっただなかに ほうかあり) やまぐち・せいそん

 この句の「法科」の文字から、山口青邨は法学部出身だと思っていた。だが青邨が学び卒業したのは、東京帝国大学工科大学採鉱学科であった。
 
 『自選自解 山口青邨句集』の中に掲句の自解があるので、そのまま紹介させていただこう。
 
 東京大学風景である。東大の銀杏の木は有名で、若葉の時も黄葉の時もおもしろい。それが落葉する時はなおすばらしい。そのさかんに散る中に法科の建物がある――そういう意であるが、ここで法科はもちろん建物だが、伝統のある東大法科を内容的に象徴させている。構内には他の学部の建物もあり、銀杏落葉も降るが、法科というものを一つとってそれに焦点をしぼって、他に眼移りしないようにした。「文科あり」でも「工科あり」でも面白くない。
 実際は現在法学部と呼んでいるが、むかし浸かった法科がよく習熟しており、一句の中でこなれていると思って使った。
 「まつただ中」によっていかにも落葉のさかんなさまもわかるだろうと思う。
 
 筆者の師の深見けん二先生も、東京帝国大学第二工学部冶金学科を卒業されている。卒業生だからであろうか、結社「花鳥来」の年1会の総会は東大学士会館で行われることが多かった。総会の前には、よく東大構内を散策して吟行していた。

 11月の終わり頃には、東京の銀杏黄葉は最も美しい。散り敷かれた銀杏黄葉は黄色の絨毯となる。黄の銀杏大樹の並木道は、よく晴れた初冬の紺碧の夜空に突き刺さるのではないかと思うほど、くっきりと際やかであった。