第七百十三夜 高浜虚子の「文化の日」の句

 今宵は、「文化の日」「文化祭」「明治節」の作品をみてみよう。

■1句目

  我のみの菊日和とはゆめ思はじ  高浜虚子 『七百五十句』昭和29年
 (われのみの きくびよりとは ゆめおもわじ) 

 昭和29年11月3日の文化の日に、虚子は、俳人として初めての文化勲章を、明治・大正・昭和の三代にわたる俳句上の功績に対して受けた。
 掲句は、かつて「私らは、芭蕉以上、蕪村以上になるつもりで俳句を作っている。それくらいな抱負がなくて、明治大正の文芸家ということができようか。」と、大正5年の雑誌「能楽」に書いている。その虚子が、「一人の力とはゆめ思はじ」と詠んだのは、子規後の50年間の俳句界をリードし続けてきたという大いなる自負であろう。

■2句目

  父母の天長節の明治節  原岡昌女  『新歳時記』平井照敏編
 (ちちははの てんちょうせつの めいじせつ) はらおか・まさじょ

 戦後生まれの筆者には、難しいが折角だから、この作品を機会に、覚えておきたい。 掲句の、「父母の」とは、原岡さんの父母の時代のことであろうか。
 
 句意は、父母の時代では天皇誕生日を明治節と呼んでいたものですよ、となろうか。
 
 「天長節」は、天皇の誕生を祝う日であり、「明治節」は、明治天皇の誕生日の11月3日をこれにあてた。今日の「文化の日」である。1927年(昭和2)に国家の祝日として制定されるが、1948年(昭和23)、廃止された。
 現在、11月3日は「文化の日」である。自由と平和を愛し、文化を進めることを趣旨とする祝日である。

■3句目

  叙勲の名一眺めして文化の日  深見けん二  『余光』
 (じょくんのな ひとながめして ぶんかのひ) ふかみ・けんじ

 11月3日は、祝日であり休日である。世のサラリーマンのお父さんたちは、家でゆっくりした朝、まず新聞を広げるだろう。作者の深見けん二は、新聞の第1面に大きな記事となっている叙勲者の名を「どれどれ」と一眺めしている。東京帝国大学卒業であるから、活躍している知合いもいるかもしれない。
 また、どのような人物が国家のために働いているのか、知ることができる。
 
 「一眺めして」という動作は、丁寧に見、丁寧に聴き、丁寧に話される、いかにも深見けん二先生らしいしぐさと言えようか。

■4句目

  教室に迷路をつくる文化祭  落合水尾  『現代歳時記』成星出版
 (きょうしつに めいろをつくる ぶんかさい) おちあい・すいび

 文化の日は休日だが、どこも同じようだと思うが、筆者の通った青山学院高等部では、文化祭が行われた。クラス単位であったが、それぞれの教室では1学期間の自由時間を使って、クラス全員で考え、研究し、纏めたものを展示していた。生徒たちは学年を超えて見学して回った。時には、参観者に説明をする場面もあった。
 
 掲句では、この教室では迷路を作っていた。これも文化祭ならではの遊び心であった。
 
 今でも覚えている、1番たのしかったことは、終了後のグランドでのフォークダンスであった。真ん中には大きな焚火が設えてあって、赤い炎が学生たちの頬を照らして・・なんだか素敵な時間が流れた。手をつないでのフォークダンスが終わると、流石に青山学院らしく、ペアになって踊っている。
 あの頃は、まだステディのボーイフレンドはいなかったなあ! だが、ほとんどがそうだったので、「ボクと組もうか?」とか言いながら、踊る相手はすぐに見つかる。