第七百三十二夜 種子島七海の「銀杏落葉」の句

 今朝、ふれあい道路を守谷市から東側の取手市に向かってパン屋へ車を走らせた。銀杏並木の街道は、日に日に落葉が増えていたが、今日、銀杏落葉で埋めつくされて、黄色い絨毯の道になっていた。
 黄の中を走るのは心がはなやいでくる。

 今宵は、「銀杏落葉」の作品を紹介しよう。

  銀杏が黄色いかおしてあはははは  小3 種子島七海
 (いちょうが きいろいかおして あはははは) たねがしま・ななみ

 この作品は、筆者が、「インターネット・ハイクワンダーランド」を開設して、子ども俳句を募集した際の投句にあった句である。授業で俳句を教えている、いくつかの小学校の教師が投稿してくださった。日本だけでなく、南米の日本人学校の教師も生徒の作品を投稿してくださった。「インターネット・ハイクワンダーランド」は長く続けることはできなかったが、掲句のような作品と出会うことができた。
 
 その後、監修金子兜太、編著あらきみほ、切り絵八木健による『名句もかなわない子ども俳句170選』の中に入れた。文章を紹介しよう。
 
 「お母さーん! まってよー!」
 落葉をひろいながら歩いていたら、お母さんはもう、ふかふかの黄色い並木道のずっと向う。
 ノンちゃんがかけだしました、犬のオペラがノンちゃんをおいかけました。
 イチョウがお腹をゆすって笑っているみたいに、ふいに黄色の葉をぱらぱら落としはじめるのは、そんなときです。
 
 銀杏落葉の1文を、『寺田寅彦随筆集 第4巻』の中に見つけた。銀杏の葉っぱの落ち方が書いてある。寺田寅彦は、戦前の物理学者であり随筆家である。
 かつて、「からすうりの花と蛾」の随筆に惹かれて、ある夕方、牛久沼にある小川芋銭居の庭から雲魚亭への入口のからすうりの花を見に友だちを誘って出かけたことがある。学者の文章は、丁寧な客観描写が凄い。
 銀杏落葉の落ち方の特長が書いてある箇所を、紹介してみよう。
 
   銀杏落葉          寺田寅彦
   
 もう一つよく似た現象としては、銀杏の葉の落ち方が注意される。(略)秋が深くなると、その黄葉がいつの間にか落ちてこずえが次第にさびしくなって行くのであるが、しかしその「散り方」がどうであるかについては去年の秋まで別に注意もしないでいた。ところが去年のある日の午後何の気なしにこの木のこずえをながめていたとき、ほとんど突然にあたかも一度に切って散らしたようにたくさんの葉が落ち始めた。驚いて見ていると、それから十余間(けん)を隔てた小さな銀杏(いちょう)も同様に落葉を始めた。まるで申し合わせたように濃密な黄金色の雪を降らせるのであった。不思議なことには、ほとんど風というほどの風もない、というのは落ちる葉の流れがほとんど垂直に近く落下して樹枝の間をくぐりくぐり脚下に落ちかかっていることで明白であった。なんだか少し物すごいような気持ちがした。何かしら目に見えぬ怪物が木々を揺さぶりでもしているか、あるいはどこかでスウイッチを切って電磁石から鉄製の黄葉をいっせいに落下させたとでもいったような感じがするのであった。

 もう1句、紹介してみよう。
 
  銀杏散るはげしき音の中にあり  平岡仁期 『新歳時記』平井照敏編
 (いちょうちる はげしきおとの なかにあり)  ひらおか・じんき
 
 冒頭に、今朝のびっしり敷き詰められた銀杏落葉のことを書いたが、もう少し思い出してみると、一箇所に纏まって落ちたのではないかと思うほどこんもりした銀杏落葉があった。またある時、銀杏落葉がまっすぐ真下に落ちるところを見たことがあった。その時は、銀杏落葉の1枚そのものが重量があるからだと思っていた。
 
 平岡仁期さんの作品は、一度にどっと落ちる銀杏落葉であったのではないだろうか。今宵は、『寺田寅彦随筆集 第4巻』の文中から、ある銀杏の葉の落ち方を学んだ。