第七百三十五夜 高浜虚子の「竜の玉」の句

 幼稚園とは楽しいところだ。1年を通して、季節の行事をみな体験させてくれる。
 4月は入園式。5月は子供の日と苺摘み、6月は泥んこ遊び、7月は七夕と水遊び、10月は運動会、11月は音楽会と遠足、12月はクリスマスとお餅つき・・。
 幼稚園での餅つきの日に取材した。この日はお父さんお母さんたちも参加して大奮闘だ。ものぐさなパパ義治も餅つき役を買って出てくれたっけ。私たち母親組は、糯米を蒸したり、臼の餅を水で返す役だったり。園児用には特別に小さな杵を用意してあって、交代でペッタンコ! ペッタンコ! 手をきれいに洗ってから、お餅を丸めましょう。あれあれ、飼育小屋から兎さんが跳びでてきたよ。出番を心得ているんだね。この兎。息子はたったの一年だったけれど、しかも病欠もよくしたけれど、毎日送り迎えした幼稚園の思い出はつきない。(略)
 純粋無垢でいられる人生の黄金期は、卒園の日の鳩とともに飛び去ってしまうのだろうか。
        『俳句・背景21 愛坊主』蝸牛社  ※愛坊主(かなぼうず)

 公園や庭園で、竜の髭の茂みを見つけると、葉をちょっと掻きわけてみたくなる。奥の方、底の方に、青い玉を見つけたときの嬉しさと言ったら・・子どもたちが宝箱を見つけて開けた時のようにはしゃいでしまう。

今宵は、「竜の玉」の作品を紹介しよう。

 「竜の玉」とは、蛇の髯、竜の髯といい、ゆり科の多年草で、林の中に自生している。夏、糸状の葉の間から花茎をのばし、紫白色の小さな花を咲かせる。晩秋から冬にかけて、実をつけ、この実が熟すと、碧色となって美しい。碧色とは緑がかった深い青である。かたくてはずむ実なので、はずみ玉という。

  竜の玉深く蔵すといふことを  高浜虚子 『五百五十句』昭和14年1月9日 
 (りゅうのたま ふかくぞうすと いうことを) たかはま・きょし

 笹鳴会は、「ホトトギス」の小句会の1つ。昭和4年、「ホトトギス」400号記念大会の折、婦人席「笹鳴」にちなんで始めた婦人句会。この日は、丸ビル集会室で行われ、虚子も参加したのであろう。

 竜の玉というのは、蛇の髯の糸状の細い葉を掻きわけると、底の方に美しい碧色の玉が付いている。これは蛇の髯に花が咲いたあとの実であり、蛇の髯の実のことで、これを竜の玉と呼んでいる。実の硬いことも、宝石の碧玉に似ているかもしれない。
 
 句意を考えてみた。

 「竜の玉深く蔵す」は、竜の玉が蛇の髯の奥深くに仕舞われているように、本当に大事なことは、揺らぐことのない竜の玉と同じように、心にしっかと保つことなのですよ、となるだろうか。
 
 だが、次の「といふことを」はどこか曖昧なままであり、突き放されているようでもある。私は、どう考えたらよいのか迷った。虚子は、「といふことを」に続けて、何か言いたかったのか、あるいは、この先は、それぞれが考えるのですよ、と言いたかったのだろうか。
 虚子は、「竜の玉深く蔵す」の10文字で、もう充分であったにちがいない。