第七百三十六夜 山口誓子の「木枯」の句

 わが街の守谷市のラクウショウの道もここ数年で大きく育ってきて、黄葉もはじまっている。そうだ、つくば植物園に行ってみよう。通称つくば植物園というが、正式名は、国立科学博物館筑波実験植物園で、敷地面積14ヘクタールの、植物の研究機関である。
 
 植物園の入口にあるのは確かラクウショウだった! 日曜日なので、娘に声をかけ、犬のノエルはお供をしたいと吠えたけれど、お父さんに預けて、つくばへ向かった。
 守谷市よりも北部にあって、筑波山に近いつくば植物園では、ラクウショウとメタセコイアの黄葉が美しい頃にちがいない。太陽は45度くらいの角度で差してをり、木々はいい塩梅に輝いていた。9時過ぎに植物園に到着。
 
 園に入ると、入口からラクウショウとメタセコイアの大樹の並木道が迎えてくれた。2種の大樹はともに、ヒノキ科(またはスギ科)ヌマスギ属の針葉樹で、別名・和名はヌマスギ(沼杉)であるという。
 このラクウショウとメタセコイアはよく似ている。見分け方は、「よく似ているが、よく見ると葉っぱが違うんだよ!」と、教えてくれたのは石寒太主宰の「炎環」で当時石神井句会でご一緒した仲間であった。
 「ラクウショウは葉が小枝に互い違いに付いている互生で、メタセコアイは対になって並ぶ対生だよ」。

 これだけ知っていれば、初冬の園では大威張り! 得々と娘に教えたが、「ふーん!」でお終い。ラクウショウの実の付いた針葉樹の枯葉が園内に落ちて転がっている。拾おうとしたら、娘から「枯葉1枚だって持ち帰ったらいけないのよ!」と言われてしまった。「ふーん! そうなんだ!」と、母の私。
 などと言い合いながら、美しい黄落の1日を過ごした。

 今宵は、「凩(こがらし)」の作品をみてみよう。
 
 晩秋から初冬の間に吹く風で、北西寄り(北から西北西)の風のことで、冬型の気圧配置になったことを示す現象である。風の名も木を枯らすというところから付いたもので、木嵐から転訛したものともいう。木枯または凩とも表記する。

 次の2句は、凩の果のアリとナシの反対を捉えていることで、よく引き合いに出されている。
 
 1・海に出て木枯帰るところなし  山口誓子 『遠星』
 (うみにでて こがらしかえる ところなし) やまぐち・せいし

 昭和19年11月19日作。第二次世界大戦の最中、誓子は急性肺炎にかかり四日市市の天ヵ須賀地区で静養の日々の中で、自己の内面世界を深化させた句を作っていた。この作品はその頃の句である。
 
 句意は、地上を激しく吹きすさびながら進んできた木枯であったが、海にやってきて、もう何も吹くものがないことに気づいた。木枯は、木を枯らしながら前進してゆく風である。海に出た木枯は困ったが、帰ろうにも帰るところはない。海に出てしまった木枯は、虚しくも、海の上で消えてしまったのであろうか。

 2・凩の果はありけり海の音  池西言水
 (こがらしの はてはありけり うみのおと) いけにし・ごんすい

 句意は、凩に、最終目的地である「果」というものはありますよ、それは「凩は海の音」になったということですよ、ということであろうか。

 山口誓子は、木枯を「帰るところなし」と捉えたが、慶安3年(1650年)、江戸時代初期の俳人池西言水は、「果はありけり」と詠んでいる。2人の作品を並べてみると、誓子の詠んだ「帰るところなし」の句に、言水は「果はありけり」と応えているように感じられてくる。