第七百三十九夜 高浜虚子の「冬日」の句

 『虚子五句集』には、季題「冬日」は27句詠まれていて、『五百五十句』の昭和12年12月22日の〈冬日柔らか冬木柔らか何れぞや〉の句が1番目である。「冬日」の作品が27句詠まれているのは、春の「花」、夏の「涼し」、秋の「秋風」「月」「菊」の次に多く詠まれている季題である。
 ことに、「冬日」は晩年の作品に多い。
 
 『虚子俳話』より

 「冬日」(一)
 
   旗のごとなびく冬日をふと見たり 

 庭に佇んでゐた時の事である。大空には冬日が小さく固くかかつてゐた。
 風もなかつた。
 音もなかつた。
 鳥も飛ばなかつた。
 人もゐなかつた。
 私が頭をめぐらした瞬間に今まで小さかつた冬日が大きな旗のごとく広がつて天の一角にたなびいた。
 大きな光の豊旗雲(とよはたぐも)であつた。
 
 冬日のある示現(じげん)であった。
 小さく天にかゝつてゐた冬日が、ある瞬間鶴翼(かくよく)を広げて見せた威容であつた。
 冬日を存問(そんもん)する人間に対する荘厳な回答であつた。
 風もなかつた。
 音もなかつた。
 たゞ小さい固い冬日があつた。
 
 その冬日は、忽ち天涯に威容を示した旗のごとくなびく冬日であつた。揺らぎつゝある光の熔鉱爐(ようこうろ)であつた。

 今宵は、「冬日」の作品を見てみよう。

 1・地球一万余回転冬日にこにこ  高浜虚子 『七百五十句』
(ちきゅういちまんよかい ふゆひにこにこ)
   
 播水は、京大三高俳句会で高浜虚子と出会い師事する。「ホトトギス」同人。昭和8年(1933年)、山口誓子・水原秋桜子・日野草城・鈴鹿野風呂らと共に「京大俳句」創刊に参加。翌昭和9年に「九年母」主宰となる。妻の八重子も俳人。

 掲句は、昭和29年12月作。播水、八重子結婚30周年に際しての虚子の祝句である。「地球一万余回」とは、およそ27年であるが、冬日がにこにこと地球を一万余回も回るように、お二人も一万余回の月日を育んできたのですね、と、虚子は目出度い表現で詠んでいる。

 2・暖き冬日あり甘き空気あり   高浜虚子 『七百五十句』昭和27年
  (あたたかきふゆひあり あまきくうきあり)

 「冬日」は、日の高さも夏の半分よりも低いので、光は斜めになって弱々しくなる。だが不思議と日向ぼっこをしていると、太陽を浴びたいと願う我々の心持ちのせいでもあろうか、冬日であるのに暖かさを感じる。
 
 昭和27年の作で、掲句は、「暖き冬日あり」と「甘き空気あり」の二句一章である。ことに「甘き空気あり」からは、深呼吸をしてみると、冬の、きゅんと引き締まった寒さには、冬日の匂いが含まれているような気がしてくる。「甘き空気」とは、冬日にある暖かさの匂いなのであろう。
 
 「甘い」を、味覚以外の感覚の意味を調べてみた。蜜のようなにおいがする、心地よくうっとりさせるさま、恋人や夫婦が仲がよく幸せそうなさま、などがあった。

 「花鳥来」で『五百句』輪講の次に『七百五十句』輪講をした時、私が発表したのはこの句であった。「甘き空気」という表現に惹かれて掲句を選んで発表したのであった。