第七百四十五夜 篠原梵の「冬の雨」の句

 今日、真珠湾攻撃のあった日である。
 日本時間1941年12月8日(ハワイ現地時間12月7日の日曜日)に日本海軍がハワイの真珠湾のアメリカ海軍の太平洋艦隊と航空基地に対して行った奇襲攻撃のことを真珠湾攻撃という。翌日、アメリカは日本へ宣戦布告、日本とアメリカが第二次世界大戦に参戦した。年数を見れば、今年は2021年だから丁度80年前の出来事であった。
 
 11月の小春日和がずっと続いていたが、昨日から今日と雨天。犬も夫も、畑に行かれず、退屈そうに目を閉じている。
 
 今宵は、篠原梵の「冬の雨」の作品を見てみよう。

  冬の雨崎のかたちの中に降る  篠原 梵 『年々去来の花』全句集
 (ふゆのあめ さきのかたちの なかにふる) しのはら・ぼん

 篠原梵は、冬の海辺の突き出たような岬に立っている。そこへ天から垂直に雨が降りだした。梵は自分の周りに降りだした限定された雨筋を見た。だが、岬の先にある海へ降る雨筋は見えなかったにちがいない。
 
 それが、「崎のかたちの中に降る」雨なのであろう。崎とは岬のことである。「崎のかたち」とは、梵が立っている岬であり、梵の目に見える岬の形のことなのである。それ以上の広さでもそれ以下の広さでもない、梵の見える「崎のかたち」という広さの中に、冬の雨が今、降っているというのだ。
 
 「千夜千句」では第百二十五夜で紹介したことがあった。
 
  葉桜の中の無数の空さわぐ 『皿』
  蟻の列しづかに蝶をうかべたる 『雨』
  
 やわらかな表現の中に、写生の目の行き届いたなかで、一歩突っ込んだ言葉、想像上の世界からの芸術的な表現が工夫されているのが梵俳句と思っている、と鑑賞した。
 
 今回、鑑賞してみたいと選んだのは、中七の「崎のかたちの」の表現に惹かれたからであった。一見すると客観写生のようでもあるが、どうやら違う。どこか感覚的で安易に寄せ付けないものを感じた。

 篠原梵は、明治43年(1910)ー昭和50年(1975)愛媛県伊予市生まれ。「石楠」の臼田亜浪に師事。昭和14年、『俳句研究』8月号の座談会「新しい俳句の課題」に石田波郷、加藤楸邨、中村草田男とともに出席、この座談会をきっかけに4人は編集長の山本健吉により「人間探求派」と呼ばれる。戦後は、師の臼田亜浪の逝去の喪失感から俳句から遠ざかっていたが、後に、中央公論社の社長となる。