第七百四十九夜 篠原鳳作の「おでん」の句

   闇鍋         内藤鳴雪
 
 或日の事子規氏が来た、闇汁会を開くからといって来たので、私も行ったが、闇汁とは、出席者が各々或る食物を買って来て、互いに知らさずと厨の大鍋に投げ込む、それが煮え立った頃席上へ持ち出して、銘々の椀に入れて食う時、色々の物が出て来る、肉とか野菜とかの外、餅菓子やパンなども浮かみ出て来るので、、いよいよ興を催して思わず、飽食するにも及んだ。これが他の同人仲間にも伝わって、その頃はよく諸方で闇汁会を開いたものである。この闇汁は私の旧藩で昔から若い者が時々したもので、それは出席者が闇の夜に網を携えて野外の小川へ投じて、その網にかかったものを何か判らず取帰って鍋の中へうち込む、それから喰おうとすると、下駄の抜け歯が出て来る、蛙の死んだのが出て来る、その他さまざまの汚いものが出てきても、それを構わずクウのを勇気があると称して、互いに興じ合ったものである。そんな野蛮な事も出来ないがやはりその名を取って、それに似た事をしたのが、即ち我々の闇汁会であった。 (『鳴雪自叙伝』より)
 ※内藤鳴雪は、江戸松山藩邸で生まれる、俳句は常磐会宿舎舎監の46歳のとき子規に感化を受け、日本派の長老として活躍した。

 今宵は、「おでん」の作品を見てみよう。

■おでん
 
  おでん食ふよ轟くガード頭の上  篠原鳳作 『篠原鳳作全句文集』
 (おでんくうよ とどろくガード あたまのうえ) しのはら・ほうさく

 最近は、東京にも行っていないし、夜も出歩かなくなっている。銀座にもガード下に屋台も店もあって、始終頭上を電車の通る音が聞こえていた。ゆったりしたお店が好きなのだが、父とも夫とも立ち寄ったことがあるが、狭くてお隣の人と肩がつくような近さで、おでんを頼んでお酒を飲んでいた。
 掲句の、まさに「轟くガード」で、10両編成の山手線が通り過ぎるまでの長いこと、しかも電車は5分も立たないうちに、次の電車が通るから、おでんを食べている間も轟音の中であった。仕事帰りの一杯は、こうした店が立ち寄りやすいのであろう。
 
 東大卒業後は、病弱もあって東京で仕事をせずに、郷里の鹿児島県で教員をしていたという。この作品の背景は、学生時代の東京であったのか、俳句のことで東京に出ることもあったのだろうか。

 もう1句、「おでん」の作品にしよう。

  おでん屋におなじ淋しさ同じ顔  岡本 眸 『朝』
 (おでんやに おなじさびしさ おなじかお) おかもと・ひとみ

 岡本眸は、清新女子専門学校を卒業後に就職した会社で、社長秘書として職場句会の幹事を任されたことで、富安風生の「若葉」に入った。
 
 おでん屋に行くのは、職場句会の後かもしれない。そこで見かける人は、仕事の疲れが滲んだような、同じ顔、淋しげな顔ばかりであった。レストランに行くのとは違う雰囲気の人たちであった。

 昨夜の、わが家の夕食はおでんであった。家庭で作るのは、下準備から煮込む時間を考えると、簡単な料理ではない。大根の下茹では特別丁寧にしておく。コンニャクの切り方は正月の煮物のようにしておく。ゆで卵も作っておこう。
 ここまで準備しておけば、あとは買ってきたセットと組み合わせて、料理は楽! 久しぶりにビールを付き合った。