第七十六夜 中村汀女の「稲妻」の句

  稲妻のゆたかなる夜も寝べきころ  中村汀女

 鑑賞をしてみよう。

 まず「稲妻のゆたかなる」の光景を思い描いて見た。「稲妻」は秋の季題で、雷雲の間、雷雲と地面との間に起こる放電現象によりひらめく火花のこと。
 雷鳴や雷光を恐ろしいものと思うことなく、稲が実る約束の音でも聞くように、次々とひらめく稲妻の音と光を、どこか楽しんでいるようだ。
 やがて母の汀女は、「さあ、もう眠る時間ですよ」と言いながら、子どもたちを寝かしつける。

 中村汀女(なかむら・ていじょ)は、明治三十三年(1900)ー昭和六十三年(1988)、熊本市の生まれ。大正八年に初めて「ホトトギス」に投句するが、結婚後は十年ほど中断している。夫が横浜税関勤務となり横浜に転居して、句作を復活する。この頃の作品に〈とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな〉などがある。昭和二十二年に「風花」を創刊主宰。

 「ホトトギス」婦人句会、星野立子の「玉藻」で句作で励み、昭和九年に「ホトトギス」同人となる。〈咳の子のなぞなぞあそびきりもなや〉〈おいてきし子ほどに遠き蟬のあり〉〈ゆで卵子むけばかがやく花曇り〉などのあたたかな母性に溢れた句は、汀女の独壇場と言えるほどである。

 汀女は「私の句法」の中で、「心にあふれ、そのまま消し去るにしのびないものを、十七文字にする」ことを思っていると述べ、さらに「俳句らしいもの」をことさら意識しては作らず、「満ちておのづから流れ出るものをまとめることで、俳句そのものになってゆく」と述べる。さらに俳句そのものとは、「十七字と季題を含むという二つの約束、これを守って快く流れるリズム」であるとする。
 虚子は「清新なる香気、明朗なる色彩」と汀女の句を称した。
 もう一句、紹介する。

  外にも出よ触るるばかりに春の月

 敗戦となったが、長い戦争は終わったのだ。もう、夜でも家族みんなで戸を開けて、庭に立って春の月を眺めることができる。解放感が溢れんばかりの句のリズムである。