第七百五十三夜 富安風生の「竈猫」の句

  能面 野口米次郎
 
 「あなたが橋掛りで慎ましやかな白い拍節(ビーツ)を踏むと、
 あなたの体は精細な五官以上の官能で震へると思ふ・・
 それは涙と笑の心置きない抱合から滲みでるもの、
 祈祷で浄化された現実の一表情だ、
 あなたは感覚の影の世界を歩く・・暗いが澄み切つ
 た、冷かで而も懐しい。
 ああ、如何なる天才があなたを刻んだか、
 彼はあらゆる官能の体験を蒸留し、蒸留し、
 最後に残つた尊い気分をあなたに与へたに相違ない。
 故に、あなたは特殊の広い深い想像の世界・・いや詩の世界に目覚めた。
 私はあなたを見て、いつも感情の貯蔵とその表現に驚く、
 あなたは偉大な感情の保留者だ、
 あらゆる世界の舞台で、あなたのやうな感情の節約者は見出されない。
 (真実の芸術は感情の節約から始まる。)・・(後略)」
   『野口米次郎選集 第3巻➖文芸論』「能面論」春陽堂文庫
 
 今宵は、「竈猫」の作品を見てみよう。

■竈猫

  何もかも知つてをるなり竈猫  富安風生  『十三夜』
 (なにもかも しっておるなり かまどねこ) とみやす・ふうせい

 暖かい場所が好きな猫、台所の家族中の内緒話も聞こえる場所である竈の端っこに寝そべっている猫。じつは、何もかも耳に入っていて知っているのに知らん顔をしている猫を「人の悪さよ!」と言いつつ、風生は、大いに猫党であった。「竈猫」は、昭和の初めの頃はまだなかった季題で、昭和9年、風生の作品の造語であった。

 「一つの名吟によってその後その新語は新季題として認められていい。」
 虚子はこのように述べてをり、季題に対して厳しいと同時に柔軟でもあったことがわかる。

 こうして、「萬緑の中や愛恋の歯生え初むる」と詠んだ中村草田男の「万緑」は夏の季題へ、富安風生の「竈猫」は冬の季題へと仲間入りした。
 
 もう1句、紹介しよう。
 
  かまど猫嫁の不機嫌知つてをり  長尾鳥影 『ホトトギス新歳時記』
 (かまどねこ よめのふきげん しっており)

 筆者であるわが家では猫はいないが、犬を飼っているので、飼主の夫や私の機嫌を損ねた時など敏感に感じとって、おとなしくしているように見える。散歩と日向ぼっこの数時間以外は、1日の殆どを家族の傍にいるから、不機嫌の度合いは分かっている。
  
 掲句は、舅や姑や夫に逆らうことのできない立場の嫁が、台所で不機嫌であったり悲しい顔をしていることを竈猫はよく知っている。猫に八つ当たりをすることもあるのだろう、そんな時には、猫は竈の端っこで静かにしている。
 
 「竈猫」は「へっつい猫」とも言う。近頃は、竈のある家は少なくなって、その代わり炬燵に潜り込む「炬燵猫」という傍題も生まれている。