第七百六十二夜 山口誓子の「寒星」の句 

    夫との別れ              加藤登紀子
    
 「もう、いいだろう」
 すべてが終わった瞬間だった。
 数値がドンドンさがる様子は、まるで飛ぶのを止めた鳥のよう。そうだ、もうこれ以上闘う必要なんてありはしない。決してへこたれることなく、こんなにも闘ってきたんだから。私は彼を抱きしめ、必死で頬ずりをした。彼は私を抱き返した。その腕の力はとても強かった。嵐の中にいるほどの強さだった。私は彼の耳元で、思いのたけを込めて告げる。
 「あなた、よく頑張ったわよ。あなた、素敵だったわよ!」
 そうして、娘たちとの抱擁。病室にいる家族は、みんなひとりずつ、手を握り抱き合った。自ら呼吸を放棄した彼はエンジンをとめた後のプロペラのように、静かに息を吐き続けた。安らかな息の中で、彼は宇宙の懐に還っていこうとしている。
 四十分後、心臓が動きを止めた。
      『青い月のバラード』小学館
      
 今宵は、「寒星」の作品を見てみよう。
  
■寒星

 1・寒星の天の中空はなやかに  山口誓子 『現代俳句歳時記』
(かんせいの てんのなかぞら はなやかに) やまぐち・せいし

 12月になり寒天の星々は、いよいよ尖った煌めきを見せてくれている。今夜もそうに違いないが、昨夜の犬の散歩で引っぱられそうになるのを堪えながら杖をしっかり持ち直しながら星々を仰いだ。
 
 関東平野の東京に近い茨城県守谷市も、少し高台にあるわが家から畑道へ出ると、360度の円穹が広がっている。今年の冬に、これほどの星々が見え、しかも星座の名が直ぐに浮かんでくるわけではない私でも、しっかりとオリオン座の形が見えた。真ん中の三ツ星と上下にある四角をかたどった星たちの集まりである。
 
 掲句の、「天の中空はなやかに」の誓子の作品を見て、あっ、このとおりだった! と、思ったほどの、いつにない賑やかな夜空の「はなやかさ」を感じながらの、犬との散歩であった。
 「寒星」は「かんせい」と読むことを、今回、改めて知った。

 2・星沍てて人のこころに溺れけり  松村暮石 『現代俳句歳時記』
  (ほしいてて ひとのこころに おぼれけり) まつむら・ぼせき

 「星沍てて」とは、空気が凍りついたように寒い光をきらめかせる冬の夜の星。凍てついた空の鋭く光る星だが、身が引き締まるような眺めである。

 句意は、12月末から1月の寒中、夜空は紺よりも濃紺よりも深く、黒を思わせるほど深い色である。その凍てつく夜空の星は、乾ききった光でなく、濡れて、じゅわっと滲み出すような光で、人の心に溢れ、心のなかに溺れてしまいそうですよ、となるのだろうか。

 今宵は、2句共に『現代俳句歳時記』角川春樹編から紹介した。