第七百六十四夜 久保田万太郎の「年守る」の句

    梟の大旅行       林芙美子

 「おい、梟君、君はいったい、何が愉しみで生きているンだね?」
 と、楡(にれ)の木がききました。
 梟はきょとんとした表情で、
 「わたしかね?」
 と首をかしげて、猫の眼のような、金色に光った眼を暗がりの方へむけました。ぶきっぶきっと固いくちばしを鳴らしながら、「そうだね。別に愉しみと云うものもないが、まア、こうして、平和でいられる事が一番ありがたいンだよ。――私はね、昔は妙な暮しをしていたのさ。君は何も知らないから、自由に飛べる私を妙な奴だと思うだろうけれど、本当は、私はこれが一番しあわせなンだよ。」と云うのです。
  (林芙美子著『童話集 狐物語』國立書院より)

 今宵は、「年守る」の作品を見てみよう。

■1句目
  炬燵の火埋けても熱し年守る  久保田万太郎 『久保田万太郎全句集』
 (こたつのひ いけてもあつし としまもる) くぼた・まんたろう 
 
 季語「年守る」を、私はこれまで知らなかったように思う。「大晦日」「年忘」「年惜しむ」「年の夜」は、歳時記の時候に分類されて12月31日のことであるが、「年守る」は、人事に分類されていて、大晦日、眠らずに元旦を迎えることである。
 大晦日に眠ると白髪になるという禁忌があって、神社に籠もったりするという。
 
 さて、現代では大晦日は、炬燵に入って、NHKの紅白歌合戦を見たり、普段観ることのない映画鑑賞の後、日本中の除夜の鐘を中継で聞いて年の夜を過ごしている人が多いのではないだろうか。久保田万太郎の時代は、電気ではなく炭火の炬燵であった。私が幼い頃も、炭火の炬燵に足を近づけ過ぎて、危うくやけどをしそうになったこともあった。
 
 掲句の、「埋(い)けても」とは、炭火が熱くなり過ぎると、灰をかぶせてカッカと燃えている火力を弱めるが、火が消えないように灰の中に埋めることである。だが、大晦日の夜から元旦の朝までの年を守る時間の長さは、暖かさを越えて熱い炬燵になっていて、炭火を灰に埋めても熱かったことでしたよ、となろうか。

■2句目

  音たのしもの煮ゆる炉に年を守り  森 澄雄 『季題別 森澄雄全句集』
 (おとたのしもの にゆるろに としをもり) もり・すみお
 
 森澄雄は、新婚の頃はまだ戦後間もなくで、一間の家は、妻が炉端で煮炊きをするのも間近、正月の準備の煮炊きの音も身近にしていた。ぐつぐつ煮える音はリズミカルに響き、匂いも伝わってくるから音は一層たのしい響きとなる。
 「音たのしもの」とはこうした年末の慌ただしさにある、来る年への希望と幸せの響きであろうか。
 また澄雄の〈除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり〉も、大晦日の景である。
 
 わが家でも、先ほどまで煮物のあれこれをしていたが、もう一品ほど今夜中に煮ておこうと思っている。
 
 今年もブログ「千夜千句」にお立ち寄りくださいましたこと本当にありがとうございました。そして、来る年もまた良い一年でありますことを心よりお祈り申し上げます。